幸せでない人ほど他人に干渉する

オムニバス(エッセイ風小説)

自分が幸せでない人ほど他人の幸せに干渉する

自分が満たされているということ

 自分が幸せでなかったり、満足していなかったりする人ほど、他人に口を出したり足を引っ張ったりするものだ。

 不思議なもので、自分が満たされ幸福な人は、他人の重箱の隅をつつくようなことはしない。

 たぶんそれは自己肯定感のようなものなのだ。
 自分で自分の価値を認めることができている人は、他人の価値も認めることができる。

相対的な幸福

 自分で自分を認めることができず、満たされていない人。
 そういう人は他人を通して自分の価値を推し量る。


 他人の不幸を見て「自分はマシだ」と安心したり、誰かが失敗しているのを見て「やっぱり自分が正しい」と思えたり。
 あるいは、誰かに褒めてもらえたり、求められたりすることで自分の価値を感じる。

 もちろん、そういう気持ちは多かれ少なかれ誰にでもある。
 けれどそういった、相対的な価値の測り方だけで生きていると人生はちょっと窮屈になる気がする。

 自分の幸せを他人を通してでしか感じることができないと、それは他人に人生をゆだねているのと一緒だ。

自分の中にあるささやかな幸福

 だから人は自分にとっての幸せの何割かは、自分の中から生み出さなければならない。

 自分を自分が認めること。
 自分らしく生きて自分が自分を好きでいること。
 それは他人に左右されない自分自身の幸せにつながっていく。

自分を認めるということ

 私達はどのようにしたら、自分を認めることができるのだろう。
 たぶんそれは日々の積み重ねだ。


 ささやかな決断であっても、自分らしく生きることの積み重ねが自分を作っていく。

 私達は社会の中で生きているが、良い意味で「自分は自分」と自己を社会から切り離すことも必要だ。

 結局のところ、他人の不幸で自分が幸せになるわけではないのだ。

 そして他人の幸せで自分が不幸になるとしたら、そのとき人は椅子取りゲームをしている。
 社会で生きていれば時として競争にさらされ、椅子を取り合うこともあるかもしれない。
 けれどそればっかりでは人は幸せにはなれない。

 私達は、自分自身が座る椅子を自分で決めていかないといけないのだ。

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