自分の中の小さな世界
自分の心を保つために、自分の中に小さくささやかな世界を持つ。
それは処世術として一考に値する。
自分の殻の中に「閉じこもる」こととは違う、自分で自分の境界線を設ける感覚。
私とあなた。自分と他人。自身と世界。
その境界線が曖昧では、自分を損なってしまうだろう。
自分の存在の輪郭をとらえながら、自分の領域と他人の領域の境目を見出す。
どこまでが「私」であり、どこからが「あなた」なのか。
私達は緩やかに世界や他者とつながっているが、そのつながりが時として自分の心に入り込み、干渉され、それが良くも悪くも影響する。
他人のネガティブな感情で自身が落ち込むこともあれば、他者の不要な攻撃性で自身も不毛な攻撃性を持ってしまうことがある。
もちろん、他者と心が交わることで人は喜び感動し、一人では完結しない人生が広がっていく。
しかし自分の他者との境界を曖昧にし続けることは、いつか自分を超えた悲しみや憤りを経験する。
自分ではどうすることもできない物事で落ち込み、頭がいっぱいになり、自分でどうにかできることに手が付けられなくなる。
自分の手に負えない悲しみを自分一人で抱え込み、それに押しつぶされてしまう。
私達はどこまでいっても、ちっぽけな一人の人間なのだと謙虚に気づければ、少しだけ身軽になれる。それが自分の心を救い、他者と適切に接する糸口となる。
私達は自分の中に小さな世界を持つ。その世界と対話し、自分の輪郭を見出し、自分の心の形を保つ。
自分と他人の境界線を見出す。それは他人を見捨てることではない。他人に無関心になることでもない。
「私」と「あなた」を混同しないことで、私達は自分と他者を尊重することができる。それは一種の誠実さだ。私達は人が必ずしも自分と同じではないと知る。それは自分が人と同じとは限らないということでもある。
私は私、あなたはあなた。それは元々ある境界線で、私達はそれを時々忘れるだけ。