アキレスと亀のおかしいところ
アキレスと亀というパラドックスの類がある。
具体的にはこういうものだ。
ここに、足の速いアキレスと、足が遅い亀がいる。
亀はアキレスの前方を走り、アキレスはそれを追いかけている。
アキレスのほうが亀より足は速いのだが、アキレスはこの亀に追いつき・追い越すことは永遠にできない。
なぜなら、アキレスが亀に追いつくまでの時間、亀も亀なりに多少なりとも前進する。
例えばアキレスが追いつくまでの時間で、亀が一歩でも前進すれば、アキレスより亀は一歩前に居ることになる。
次にその一歩の差を埋めようとアキレスが走っても、その時間に亀は亀なりにまた歩を進めるだろう。それは一歩未満の小さな前進かもしれないが、それでもアキレスよりは幾分前にいる。
このように考えていけば、アキレスが亀に追いつき追い越すことは永遠にできない。アキレスが亀に追いつくための時間、亀も亀なりに着実に前進しているからだ。
話だけ聞けば、この理論はなんだか正しいように思える。
しかしながら当然こんなことは現実にはあり得ない。
私達は小学校のかけっこで抜いたり抜かされた経験があるし、歩道を走る自転車を車で追い越した経験もある。
物体の速度が異なれば、そしてそれらが同じ進行方向に進んでいれば、スピードが速いほうが時期に前になる。それは当たり前の話だ。
それなのになぜ、アキレスと亀のパラドックスは一見正しく聞こえてしまうのだろう。
解釈は様々あるが、例えばそれは時間に着目するとヒントになるかもしれない。
アキレスと亀のパラドックスは、時間を分けて考えてしまっている。
頭の中で、アキレスが亀に追いつくまでの時間を想像し、そのあとに亀が歩を進める状況を想像する。時間を分けてそれぞれで考えている。
しかし当然ながら、時間は同時に流れている。
アキレスの時間も亀の時間も同時に流れている。
アキレスが走る間に亀も走っているかもしれないが、亀が走っている間にアキレスも走っているのだ。
だから亀が走る間にアキレスは亀を追い越してしまう。
単純ではあるが、一つの教訓だと思う。
私達は時間を誰かの視点でしか見ないことが多い。けれど実際は時間は同時に流れている。
誰かの時間と私の時間は、分けられることなく同時に流れている。
「だからね、元カノがいつまでも自分のことを好きだって思うなって話。男って元カノが自分にまだ気があるんじゃないかって思う人多いよね。あれほんとやめてほしい。時間は流れてるんですよ~って話じゃない?」私は言った。
「まあねぇ。こっちはもう意識してないのに突然それっぽい連絡来るとびっくりするよね」アキは共感してくれる。「でもさぁ、なんで別れちゃったの? 彼氏さん、いい人そうだったじゃん」
「うーん、まあ、なんとなく。一緒にて楽しいは楽しいけど、結婚生活とかが想像できなかったかなぁって。もう少し独身で遊びたい気もするし。あ、ごめんね。私ばっかり話しちゃって。それで、アキの話って?」
「ああ、うん。この流れで悪いんだけれど、私実は結婚することになって、それで年明けには式を挙げようと思ってるのね。それで、よかったら友人代表のスピーチお願いできないかなって」
世の中はそれぞれの時間が同時に流れている。私の時間が流れるように、誰かの時間も流れ、私が誰かの時間を見ている間に、別の誰かの時間も知らぬ間に流れているようだ。