始業前の出社強制は違法だと思うから
会社の暗黙の了解
僕の会社では始業の三十分前には出社しておくという暗黙の了解のようなものがある。
僕はこのルールを守るときもあれば守らないこともある。
ある日は三十分前に着くけれど、ある日は十五分前のときもある。またある日は三分前のときもある。
そんな日々が続くと、時々上司が 「社会人として、始業の三十分前には出社しておくように 」と釘を刺すことがある。僕個人が言われることもあれば、部署全体で言われることもある。
僕は言われた直後はきちんと三十分前に出社する。けれどほとぼりが冷めたら、またダラダラと時間を遅くしていく。その繰り返しだ。
なぜ僕がそのようにするかと言えば、始業前の行動を指示し、そこに給料が発生しないのは違法だと思うし、仕事は定時で始めて定時で終わりたいからだ。
もちろん、始業前の出社強要は労働基準法的に違法ですと主張することもできる。
けれど、そういう理屈を言って話が通る状況とも思えない。人にはそれぞれの正しさや正義がある。
だから僕は、自分のできる範囲で、自分に合うやり方をやっている。
始業三十分前
「社会人として、始業の三十分前には出社しておくように」
ある日、部署の会議で上司はそう言った。
僕の部署には、始業の五分前や直前に出社する人が数名いる。僕もその一人だ。
上司の発言はその数名を意識した言葉なのだろうなと僕は思った。少なくともそう思うくらいの空気は察することができた。
上司はどちらかというと体育会系の人物で、モラルやマナー、常識を重んじるタイプだった。
たかが三十分。そう思う人もいるだろう。一時間も二時間も早く来いと言っているわけではない。僕もある程度はそう思う。けれどそういう小さい強制は、大きい強制より反発が起きにくいぶん、厄介だったりする。
小さな強制の積み重ねが、社会に対するストレスになっていく気がした。だから僕は、そういうマナーとか常識について、真っ向から戦うつもりもないが、真にも受けないでいる。
常識がないということ
面と向かって言われたことはないけれど、常識のない僕を何人かの人は嫌っているか、あいつはダメだと思っていると思う。
それに対して僕が傷つかないかと言えば、もちろんそんなことはない。人に嫌われるより、人には好かれたい。
けれど、常識に欠けたり人とコミュニケーションをとることが苦手な僕は、社会で生きていく中で二つのことを心がけている。
一つは他人に悪意を持って接しないこと。
もう一つは、人に好かれようと無理をしないこと。
僕はこの二つをできるだけ意識するようにしている。
人に好かれようと無理をしても、ストレスが溜まってしまう。誰だって万人に好かれるわけではない。人から好かれることもあれば嫌われることもある。それはしょうがないし人間関係においてある程度自然なことだ。
けれど、自分から人に悪意を持って接してしまえば、それは一種の攻撃だ。やればやり返されても文句は言えない。
どれだけ他者に嫌われようとも、それは相手の感じ方の問題であって僕の存在に問題があるわけではない。と、思うためには、僕自身が僕なりに誠実に他者と接する必要がある。
だから僕はモラルや常識を振りかざす人を真っ向からは否定しない。そういう考え方もあるのだろうと受け入れ、距離をとり、僕は僕の日常を過ごしている。