ミュージシャンは言った。
ミュージシャンは言った。「大学なんてくだらない」
男は言った。「なんだかんだで学歴は大事さ」
ミュージシャンは言った。「就活なんてするのかい?」
男は言った。「わざわざ新卒カードを使わないのももったいないだろ?」
ミュージシャンは言った。「サラリーマンは楽しいかい」
男は言った。「毎月決まった額の給料が振り込まれることはずいぶんと安心感があるよ」
ミュージシャンは言った。「結婚して落ち着いてしまうわけだ」
男は言った。「誰か一人の人と長く一緒に居ることは、かけがえのないことだよ」
ミュージシャンは言った。「子供がいたら自由時間が減るだろう」
男は言った。「そのぶん幸せな時間が増えた気がするよ」
ミュージシャンは言った。「家庭を持つのは退屈じゃないかい?」
男は言った。「知ってるかい? フードコートで家族で食べる飯は、けっこう幸せなんだぜ」
ミュージシャンは言った。「夢は叶ったかい?」
男は言った。「音楽で飯を食っていくことはできてないよ」
「けれど」男は言った。
「仕事があって家庭があって。そりゃあ日々細かいことはいろいろあるけれど、おおむね毎日が安定している。俺もいい歳だけれど、それでもこうして休みの日にギターを弾けているのは生活基盤があるからだと思うんだ。夢だけ見てのバイト生活じゃあ、嫁さんとも出会えなかっただろうし、こうしてゆとりを持ってギターを弾くこともできなかったと思う。
仕事をして、休日に作曲をして。それはたぶん趣味と夢の中間みたいなものなんだ。
この歳になって思うよ。夢を叶えることも大切だけれど、夢を見続けられるのもけっこう大事なんだって。そのためにはやっぱり、人並みに安定した生活は必要さ。
派手な夢は叶えてないけれど、こう見えて、けっこう毎日幸せなんだよ。
それになにより、息子にギターを教えるのは、やっぱ嬉しいんだ」
「パパ、ここはどうやるの?」子供は言った。
「ここを、この指で押さえるんだよ」ミュージシャンは言った。