変人と思われるほうが人生は楽
変人だから許されること
周囲から「あの人は変わっている」と思われるほうが楽になることがある。
誰でも人と違うところはある。
そういう人と違うところを隠して周りに合わせていると、なかなか疲れるものだ。
そして周りに合わせていると、少し違うところがあっただけで周りに批判されたりする。
一方で、明らかに人と違うと、「あの人はそういう人だから」と許されることがある。
出る杭は打たれるというが、出過ぎた杭は打たれない。
これは世の中の処世術の一つだろう。
人と同じを演じること
人は自分と同じような人が好きだ。
自分と同じ価値観を持ち、自分と同じように考え、自分に同調してくれる人が好きだ。
人間関係には引力のようなものがあると思う。
つまり相手が自分に似ている部分があると、もっと自分と似るようにしようとする。
共感を求めたり、逆に異なる点を否定したり。
「常識がない」とか「普通こうする」とか、そういった言葉は相手を自分と同じようにしたいという気持ちの表れだ。
だから人に合わせていると、どんどん自分の「人と違うところ」を出しづらくなる。
変人であること
同じことをしても、「あの人はああいう人だから」と許されることがある。
単に見放されている場合もあるが、それとは異なり、その人がその人として確立しているケースがある。
その人がその人として確立していると、人間関係は幾分楽である。
人と同じことが前提条件になっていないからだ。
そのような人になれると、人と違うことを気にしなくていいし、むしろ人と違うところが長所になったりする。
では、見放されたり諦められたりするのではなく、良い意味で「あの人はああいう人だから」「変わっているから」と思われるにはどうしたらいいのだろうか。
「あの人はああいう人だから」と良い意味で変人扱いされるには、その人の中に一貫した主義のようなものが必要だと思う。
つまり「あの人は変わっているけれど、筋は通っている」と思われることだ。
この「筋が通っている」ことによって、人と違っても人に「理解してもらえる」人になれる。
人と違うことを恥じる必要はないし、自分らしくあっていい。
そしてそのためには、自分を裏切らない自分の中の筋を持つことが必要なのだ。