周りに流されず自分の意志を貫く大切さ|ショートショート

オムニバス(ショートショート)

送らなかった花束

 広報一課の一条さんが退職する。
 そのことを私が知ったのは、今週の月曜日のことだった。本人から聞いたのではなく、同僚から聞いた。一条さんが退職するのは今週の金曜日。一週間前に退職を知るというのは、なかなか急な話だ。

 私は広報二課に配属されている。私が勤めている会社は広報一課・二課・三課と広報に関する三つの課があり、それぞれ十から二十名弱の社員で構成されている。
 各課の業務はほぼ独立しているし、フロアも異なるので、課を超えて社員が話す機会はあまり多くない。それでも広報という共通点から、淡い連帯感のようなものはあった。
 だから一条さんの退職が今まで知らされていないことに、少なからず驚いた。

 一条さんは去年結婚して、旦那さんは転勤族らしかった。だから旦那さんの仕事の都合なのかもしれない。私と同じ二課であり同期の女子社員である二宮は言った。私もそういうことなのだろうと思ったが、実際のところはわからない。退職の事実すら本人から直接は聞いていないのだ。その理由なんてわかるわけがない。

 広報女子会で退職祝いを送ろう。火曜日くらいに二宮はそう言った。広報女子会とは一課・二課・三課の女子社員で作ったライングループだ。とは言っても去年一度食事会をしただけのグループなのだが。
「花束とプレゼントを買ってこようと思うから、お金を集めようと思うの。もちろん強制じゃないけれど、どうする?」
 社交性の高い二宮はそう言った。その優しさを否定はしないのだが、正直私は気が進まなかった。

 一条さんは私より二つか三つ年上の要するに先輩で、課は異なるものの同じ広報だから仲間意識はある。けれど特別に親しかったかと言えばそういうわけではない。良い人だし仕事もできるし、退職するのは残念だ。けれど特別にお祝いを送るほどの関係性だったかというと、正直違うなとは思う。

 二課には慶弔係というものがあって、別の課の人が結婚したり不幸があったり退職したりした際は簡単な花束を送るようになっている。そのために社員は年に数回百円か二百円くらいを集めて積み立てている。今回の一条さんの退職も、慶弔係から二課の名義で花束が贈られるだろう。それとは別に広報女子会からも退職祝いを送るのは、ちょっと過剰な気もした。退職の一週間を切った段階でも、一条さん本人からは退職のことを二課に言ってこない。少し冷たい言い方になるかもしれないが、それくらいの関係なのだからあまり気を遣う必要はないのではないか。私は正直なところそう思っていた。

 結局私は広報女子会の退職祝いの集金を断った。心が狭いとかケチとか思われたかもしれないなと思うと、少し憂鬱な気持ちになった。他の人達はほとんど集金に応じたようで、協調性がないと思われたかなとも思った。
 けれど、こういうお祝い事に嫌々お金を出したって、心がこもってないから意味がない。私は個人的にそう思った。だから(なかなか断りづらいことではあったが)一条さんの退職祝いには参加しなかった。

 例えば私がいつかこの会社をやめるとき、今回の私自身の行いが巡り巡って降りかかり、後悔することもあるのかな。これを機会に二宮達は私をケチな女だと小馬鹿にするのかな。
 私はしばらくそんなことで思い悩んだ。だったらお金を出せばよかったじゃないか。そんな堂々巡り。うじうじした自身の性格にも、また悩んでしまう。

 一条さんが退職した翌週、一条さんが三課の課長と不倫をしていたという噂が流れた。だから急な退職だったのかなと私は思った。(そういえば三課の課長を最近見ていない)
 一条さんの退職は私達平社員はおろか、二課の課長も知らなかったらしく、上司達は課をまたぐ業務の調整に忙しそうだ。一課の社員については一条さんは受け持ってた業務をマニュアル化せず退職したらしく、カバーが非常に難航していると聞く。
 私はケチな女だから、一条さんの退職祝いに参加しなかった後悔が、今は和らいでいる。そして逆に、もし退職祝いに参加していたら、後悔しただろうなと思っている。端的に言うと、一条さんは立つ鳥跡を濁して退職したことが退職した後にわかったわけだ。

 周りに流されず自分の意思を貫くことは、悩みや迷いが生じることもあるが、やはり大切なことだ。

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