雪の日に会社に通勤することについて

オムニバス(エッセイ風小説)

雪の日に会社に通勤することについて

雪の日の通勤

 私は雪が積もった日の通勤が嫌いだ。

 正確に言うと、会社のためにいつもより朝早く家を出て、苦労しながら会社に着いた人が偉いという価値観が嫌いだ。

 口では安全第一でと言いながら、「休んでいい」とは言わない会社の無責任な感じが嫌いだ。

老害な上司

 私の会社の上司はどこにでもいる老害で、今の世代の価値観と本人の価値観が食い違うことが度々ある。

 上司は雪の日に二時間も三時間も早く家を出て、時間通り(むしろ早めに)に出社した社員を褒めるタイプだ。そして雪の日に遅刻したり、休みを取ったりする社員を社会人として未熟であるとするタイプだ。

 そんな上司は雪が積もるであろう日の前日にこう言う。
「明日はくれぐれも気をつけて出社するように」
 社員の身を案じていると思えば優しい言動かもしれないが、裏を返せば「早く家を出て会社に来い」ということでもある。

コスパの良い言葉

 「ああ、こんなに雪が降ってたら無理だな」と、会社を遅刻したり休んだりすると、何時間も家を早く出て定刻に出社した社員が馬鹿みたいだ。

 そういうふうな価値観になってしまうのは、結局のところ「無理をしてでも会社に尽くすのが偉い」という考えのせいだと思う。
 会社と社員は労働契約も結んだ関係でしかない。要するに利害の一致だ。
 けれど多くの場合、それ以上の関係を求められる。

 だからみんな家を早く出る。無事に会社に着いた人は褒められて、遅刻したり休んだりした人は社会人失格のレッテルを貼られる。
 そうやって、もっと休みにくい空気になっていく。

 私の会社は、今この瞬間に病や怪我を抱えた人が来る病院でも、社会の秩序を守る警察でも、人々の生活インフラを守り続ける会社でもない。どこにでもある、営利企業だ。雪の日に一日くらい休んだって、あるいは社員が足りず平常よりも稼働率が低くたって、正直誰も困らない。

 それでも私達社員は、「気をつけて」会社に来ることを雰囲気で強要される。

「這ってでも来い」と言わないのは、そこまで言えばトラブルになるからだ。
「休んでいいよ」と言わないのは、社員の人生より会社の利益が大切だからだ。
「気をつけて来てね」というのは、会社からすれば、口だけで済み何も支払わなくてよい、なんともコスパの良い対応なのだ。

誠実な人が馬鹿を見ない

 誠実な人が馬鹿を見ない社会がいいなと思う。
 けれど、ある種の誠実さの報いは、歪んだコミュニティを作ってしまうと思う。

 家を早く出て必死に出社した社員が褒められるのは、「社員は会社に尽くさないといけない」という価値観のせいだ。
 雪の日に遅刻したり休んだりした人が責められるのは、それ以上でもそれ以下でもない会社が、社員にそれ以上を求めるからだ。

 誠実な行為や誠実な人は報われないといけない。そうでなければ社会が不誠実なものになってしまうからだ。
 けれど、その誠実さが誰か(例えば会社とか)の不誠実さの上に成り立つものであれば、その限りではないだろう。

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