難しいことと私達はどう向き合うか
二種類の難しいこと
難しいことが世の中には多い。
そして難しいことは二種類あると思う。
一つは難しいけれど答えが出ること。
そしてもう一つは、難しくて答えも出ない(あるいは答えがない)こと。
難しいけれど答えが出ること
難しいけれど答えが出ること。
それは人が考え、知恵を絞り、知識を蓄積していく中で見えてくる。
一見するとまるでわからない問題でも、そういった積み重ねの中で答えが見え、解決に向かうことがある。
難しいし答えが出ないこと
世の中には答えが出ない難解な問題もある。
人類が時間を費やしてきても、答えが出ていない問題は多い。
これらの問題の答えは少なくとも今は「わからない」ということになる。
答えが出ないことに対して
答えが出ない問題に対して、答えを求めることが往々にしてある。
誰もがシンプルな答えを求めていて、難しい問題は避けたい。
「わからない」という答えでは納得できなくて、無理矢理答えを決めることもある。
けれど、答えが出せることと、答えを無理矢理出すことは違う。
難しい問題をそれらしい言葉で説明して、「答えはこれです」と提示したところで、それは短絡的な解釈に過ぎない。
もちろん物事を簡略化し理解を促すことは悪いことばかりではない。
しかし、「わからない」答えを「わからない」まま受け止めることも時には必要だ。
私達ができること
「わからない」問題を「わからない」と認めることは大切だ。
一方で、「わからない」ままでは何もできないことだってある。
だから私達にできることは、「わからないこと」を「わかったように」偽るのではなく、「自分達にできること」をやることだろう。
自分の目の前には答えが出せない高尚な問題ばかりではなく、行動することで変えられるちょっとした物事だってあるかもしれない。
そういう物事に一つ一つ取り組んでいけば、自分の周りの景色も少し変わってくるかもしれない。