障害と個性の狭間で
障害と個性の違い
障害と個性の違いはなんなのか。大雑把に言えば、社会で生きていく上で許容範囲の違いが個性、大きく支障をきたすものが障害だと思う。
だからその人の持っているものが障害なのか個性なのかは、その時代の社会の状況と、その人自身の状況にもよると思う。
そして、自分の特性を「個性」と思えることで救われることもあれば、障害を「個性」という言葉で片づけられ、ひどく傷つくこともあるだろう。
足が不自由で車椅子に乗っている鈴木は、階段の前で途方に暮れていた。鈴木に対して「それは個性なんだ」と言ってもなんの慰めにもならないだろう。鈴木の目の前にいる、階段で足を滑らせ転んで怪我をした佐藤に、「それは個性なんだ」と言ってもしょうがないように。
自分と他人の違い
私の娘の友人である、アイちゃんの話をしたい。
アイちゃんに自覚症状が現れたのは、小学生の頃だった。そして中学生になる頃には症状がかなり進行した。
それまでアイちゃんは自分が人と違うという意識をあまり持っていなかったのだが、徐々に自分と他の人では認識が異なることに気づいていった。そして自分の周りの「違い」に苦労することが多くなっていった。
日常生活で困難を示すことも多かったが、それ以上に辛いのが、「みんなと違う」ゆえに同じことができなかったりからかわれたりすることだった。
お医者さんや親は「必要だから」と言うが、アイちゃんは特に最初の頃、補助具を付けるのが嫌がった。だってみんなと「違う」から。
アイちゃんは近視という疾患を持っている。補助具である眼鏡がないと、一番後ろの席から黒板の文字が見えない。ちなみに近視は、障害ではないらしい。だからこの話は障害の話ではなくて、最初に言った通り私の娘の友人であるアイちゃんの話だ。
自分の見方と他人の見方の違い
私の娘には障害がある。骨の形成不全。要するに骨の作りが不十分で、そのために日常で様々な苦労を伴う。
そんな娘を周囲の人は愛してくれているが、親の私としては内心複雑だ。
障害があっても不幸とは限らない。幸せに生きることはできるかもしれない。
けれど、持って生まれたそのハンディキャップに、理不尽さと苦労を感じるのは正直なところだ。
スコティッシュフォールド。折れ曲がった耳が特徴的な猫である私達は、生まれながらにハンディキャップを持っている。