自由とは自分が正しいと思えることをできること
自由であるということは
自由であるということは、自分が正しいと思えることをできることだ。
例えば自由について、私はそのように思う。
自由であるということは、自分の心に従って生きることができる、そうできるだけの状況でいられることだ。
自由を制限するもの
多くの人は生きていく中でしがらみのようなものが増えていく。
言いたいことが言えない状況になったり、
やりたいことができない状況になったり、
自分の本心とは別の言動をとらないといけないことが出てくる。
そういう中で人は時折不自由を感じる。
自由を損なうもの
また、何かが不足することで不自由を感じることがある。
お金がない。時間がない。友人や恋人がいない。
楽しみがない、希望がない。
人は何かがないことで自分の人生に不足を感じ、その不足は不自由さをしばしば生み出す。
正しいと思うこと
人は無意識に自分なりの「正しさ」を持っている。
自分に対して、人に対して、世界に対して、「こうあるべきだ」「こうあればより良い」という考えをふと持ってしまうものだ。
そういった自分なりの正しさが本当に正しいかどうかは別にして、その正しさの下に生きることができないと人は不自由さを感じる。
自由であるということは、自分が考える「正しさ」や「優しさ」を体現できることなのだ。
自分が正しいと思えることを言える。
自分が正しいと思えることをできる。
自分が正しいと思える場所に行ける。
自分が正しいと思える時間の使い方ができる。
そういう自分の心と行動がつながっているという状況は、なんとも自由なものだ。
自由であるために
だから自由であるためには、自分にとって正しさとは何か、それを体現するためにはどうすればいいかを考えることが重要だ。
今この瞬間に、自分が自由であるための方向に目を向け歩き出せるか。それが重要だ。
自分が正しいと思えること。
自分が大切だと感じること。
それらに目を向け、そちらへ歩けることが自由なのだ。