人を嫌わなければ人に嫌われてもいい

オムニバス(エッセイ風小説)

人を嫌わなければ人に嫌われてもいい

自分から人を嫌わなければ、人に嫌われてもいい

 人に嫌われることは大した問題ではない。自分から人を嫌ってさえいなければ。

 これは教訓かもしれないし、処世術かもしれないし、ポジティブ思考かもしれない。

 なんにせよ、これはある種の人間に自由を与えてくれる言葉だ。
 ある種の人間とは、人に嫌われることに悩んでいる人間のことだ。

人に嫌われたくない

 できることなら、人に嫌われるより好かれたい。それは本音だ。

 「私は人に嫌われてもいいと思ってる」なんて言えるほど、私は強くないし独創的でもない。
 やっぱり人に嫌われたら大なり小なり傷つくし、人に好かれれば悪い気はしないし場合によっては嬉しい。

 一方で、どうやったって世界中全ての人に好かれるのは難しくて、いつか誰かには嫌われることもあるだろうと思う。
 それは「現実」というやつだ。

 人に嫌われたくはないけれど、誰もが人に嫌われることはある。

 それはすごく当たり前のことなのだが、忘れがちなことなんだ。

人を嫌わないこと

 どのような生き方を選んでも、世界中の誰かに好かれるのは難しい。
 どのような生き方を選んでも、誰かに嫌われることは避けられない。

 だからせめて、自分から人を嫌うことはやめよう。
 なぜなら自分が嫌うから相手に嫌われるという事態を避けられる。

 一方で、人に好かれることに力を注ぎすぎても疲れるだけだ。
 私は私であればいい。

 人を嫌うことさえしなければ、私達は自分らしく生きることができる。

人に好かれようとすること

 もちろん、人に好かれようとしない、媚を売らない人間は、一定に人間に嫌われる。
 人に好かれようとしない人間が鼻につくという人はいる。

 だから人を嫌いながら人に好かれようとする人のほうが、人を嫌わず人に好かれようともしない人より好かれるかもしれない。

 これは個々の生き方の選択の問題だ。どちらが正しいというわけでもない。

 そして私はどちらかと言えば、人を嫌わず、けれど人に好かれようと無理をすることもやめようと思う。それは私にささやかな自由を与えてくれるかもしれないから。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました