人の話を聞くとき要約してはいけない|会話で気をつけること

オムニバス(エッセイ風小説)

人の話を要約しない

人が聞いてほしいもの

 人の話を聞くときに「つまりこういうこと?」と安易に要約してはいけない。

 もちろん、相手があなたにアドバイスを求めていて、自分の曖昧な気持ちを整理・言語化してほしいときは別だ。このときの要約は有意義だ。

 しかし多くの場合、人は話を聞いて共感してほしいのであって、あなた目線の要約を求めてはいない。
 人は紆余曲折あるその過程や気持ちを聞いてほしいのであって、それを一言で片づけられることを求めてはいない。
 人の話を安易に要約することは、人との会話で最も重要な「共感」をそぎ落とす行為でもあるのだ。

人は話を聞いてもらいたい

 人は話を聞いてもらいたい。これはおそらく人類の真理の一つだ。
 人は人に話を聞いてもらいたいし、共感してもらいたいし、理解し受け入れ認められたい。

 自分がどのように感じ考えるのか。それを他者に伝え、知ってもらい、願わくば同じように感じ考えてほしい。

 人が話すという行為は単なる情報交換ではない。他者に自分の存在を馴染ませようとする行為だ。

 だから会話において「共感」は重要だ。まるで紐につながれているように、「会話術」とか「コミュニケーション力」の話になると「共感」というワードは登場する。

要約が間違っているわけではない

 人の話を要約していけない理由は、要約が間違っているからではない。
 人の話を要約してはいけない理由は、会話は単なる情報交換ではなくその文脈を共有・共感することにあるからだ。

 例えばあなたが「つまり鈴木さんのことが嫌いということなんだね?」と要約したら、それは間違いではないかもしれない。
 佐藤さんは鈴木さんのことが嫌いである。それはそうなのだ。
 けれど、今聞いてほしいのはそういうことではないのだ。

 鈴木さんとのやりとりで佐藤さんが感じたこと。そこで悩んだこと。
 人を嫌いになったところで、社会ではそれなりに接していかないといけないという葛藤。
 そういう文脈を理解し共感を示してほしいのだ。

人の話を要約してはいけない

 人の話を要約してはいけない。
 「つまりこういうことでしょ?」と言っても、相手はそれを求めていない。「そういうことではない」のだ。

 人は自分の人生や感情を、他人に一言で片づけられると虚しさを感じる。
 誰しもが自分の人生や感情は一言で語れない長い物語であると思いたいのだ。

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