小学校で孔雀を飼っていた

オムニバス(エッセイ風小説)

孔雀を飼っていた小学校

小学校の孔雀

 都会でも田舎でもない郊外に位置するところに、僕が通っていた小学校はあった。
 決して広々としてはいない土地に、それでも十分な校舎と体育館、グラウンドが設置されたその小学校には、昔ながらの飼育小屋もあった。校舎が取り囲むようにしてできた空間に、妙に高さのある飼育小屋。その中には孔雀が二匹飼われていた。
 孔雀は雄と雌が一匹ずつ。今ではどんな名前で呼ばれていたかも覚えていない。
 犬とも猫とも違う、カラスや鶏とも違うその異様な生き物が僕の日常の中に存在し、不思議な感覚になったことを覚えている。

 校舎が取り囲むようにしてできた広場はグランドよりもわずかに日当たりが悪く、そこにある飼育小屋は屋根と草木もあってさらに薄暗かった。その薄暗い空間の中に、孔雀はひっそりといる。首の光沢のある青色は、僕が当時見たどんな自然の青よりも綺麗だった。けれど同時に気味の悪さもあった気がする。

 僕は飼育係ではなかったけれど、その孔雀を見るのが好きだった。

孔雀が羽を広げる

 孔雀が羽を広げるところを、僕が初めて見たのは確か二年生の頃だった。
 学年によって教室が変わり、それに伴って校舎への出入り口が変わる。そんな作りになっていた小学校だった。僕が二年生の頃、飼育小屋を通る玄関が教室に一番近かった。
 ある日僕が一人で下校するとき、ふと飼育小屋を見ると孔雀が羽を広げていた。とても綺麗で、幻想的で、大きな羽だった。僕はとても貴重な瞬間を見た気がした。孔雀は何も言わずただ黙々と羽を広げていた。僕はもっと近くで見たい気もしたけれど、それ以上孔雀との距離を詰めることはなかった。近づくと孔雀が驚いて羽を広げることをやめてしまう気がしたからだ。
 僕はその場に立ち尽くし、少しの間孔雀の羽を眺め、そして帰った。

 それから、僕は度々孔雀が羽を広げたところを目にすることができた。孔雀が羽を広げる瞬間や、羽を閉じる瞬間も見る機会があった。僕はそれを近づいて見ることもあれば、遠くから見ることもあった。
 孔雀が羽を広げることは、そこまで珍しいことではないことがわかってきた。孔雀は日々の中で度々羽を広げる。
 自分の経験が、俯瞰して見ればさして非凡なことではないと気づくことは多々ある。大人になれば特にそうだ。僕がそれを初めて実感したのは、たぶんこの孔雀の羽だと思う。

 孔雀が羽を広げることは、そこまで珍しいことではない。

孔雀のその後

 小学校を卒業してしばらく時間が経った。僕は旧友と小学校に立ち寄る機会があった。
 孔雀はすでに亡くなっていた。大きくて取り壊すのも一苦労な飼育小屋は、ひっそりとまだそこにあった。
 聞いたところによると、孔雀は初めに雄が亡くなり、その後に雌が亡くなったらしい。
 雌だけになった飼育小屋。孔雀のあのきらびやかな羽があるのは雄だけだ。雌にはない。
 例えば雌だけになった飼育小屋を見た、その年の新一年生は、初見であれを孔雀とわかるのだろうか。
 僕はふと、そんなことを考える。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました