家族の病と医者
医者というのは人の涙を見ることが多い仕事だ。
人の生き死にに関わり、大切な人の死で涙を流す人を目の当たりにする。
この仕事を選んだときからそれはわかっていた。人は誰もがいずれは死を迎える。それは仕方のないことだと。わかってはいたけれど、やっぱり実際に人が泣いているところを見ると心にくるものがある。
ベッドの上で静かに目を閉じている男性は鈴木さんといって、僕が担当した患者さんだ。鈴木さんの奥さんと娘さんは、ベッドの横で泣いていた。
一年前、鈴木さんの病を告知したときも、奥さんは泣いてた。娘さんは強がって無表情だった。高校生。思春期の娘。世間一般では、父親を邪険に思っても仕方ない時期だろう。けれど、当たり前だけれど、それは要するに強がりだ。
「娘もすっかり思春期で、最近はろくに話しもしてくれないんですよ。正直寂しさはあるけれど、ある意味で良かったのかもしれませんね。今なら私が逝っても、娘も大して悲しまないでしょう」
以前、鈴木さんは僕にそう言っていた。
「そんなことないですよ」僕は言った。
そんなことないことは、鈴木さんもわかっていたんだと思う。わかってはいたけれど、言わずにはいられなかったんだと思う。
父親とろくに話しもせず、告知のときも泣かなかった思春期の娘。
今、ベッドで横たわっている父親を前にして、涙をこらえているのは明らかだった。
「お父さん、お疲れ様」
奥さんがそう言った。それが娘さんにいろんなことを思い出させたのかもしれない。張り詰めた糸が切れたように、娘さんは泣いた。流れる涙を、もうこらえようとはしなかった。
ほら、鈴木さん、娘さん泣いたじゃないですか。
僕は心の中で鈴木さんに言った。あなたが娘さんを愛していたように、娘さんだってあなたを愛していたんですよ。
「手術は成功しました。あとは安静にしていれば、時期に目を覚ますと思います」僕は言った。奥さんと娘さんはありがとうございますと、涙を流しながら言ってくれた。
医者というのは人の涙を見ることが多い仕事だ。
人の生き死にに関わり、大切な人の死で涙を流す人を目の当たりにする。
この仕事を選んだときからそれはわかっていた。人は誰もがいずれは死を迎える。それは仕方のないことだと。けれど、できることなら、助かった命に対する喜びの涙を、たくさん見ることができたらいいなと僕は思う。そう思いながら、僕はこの仕事をやっている。