お金持ちが書いた貧乏の話に共感する貧しい人

オムニバス(エッセイ風小説)

持つ人が描く持たない人

みんな同じものが好き

 私達は時折、何かを持たない人を描いた物語に共感する。

 お金がない人は、お金がない人を主人公にした物語にしばしば共感する。
 恋人がいない人は、モテない主人公に共感する。あるいはそのモテない主人公に恋人ができる過程に興味を覚える。
 才能がない人は、才能ではなく努力でのし上がる物語に共感する。

 実生活でも、私達は自分と似た人が好きだ。

 会社の同期は私と給料が同じで気楽に遊べるけれど、専業主婦になって優雅に過ごしている高校時代の友人とはなんだか気が合わない。
 独身同士だと気楽だけれど、相手が結婚していると時間の都合を考えてしまう。
 頭の回転が速くて、コミュニケーション能力の高いあの人は、やっぱり私とは違う人間なんだなと感じる。

 私達は、自分と同じ持ち物の人が好きだ。
 

けれど持っていないのは自分だけかもしれない

 貧しさを描いた映画の監督はお金持ちで、
 モテない物語を書いた漫画家には夫がいて、
 叶わない夢を歌うミュージシャンは夢を叶えていて、

 私達が何かを持たない物語に自分を投影したその先には、自分にはないものを持った誰かがいる。

 それを見ないようにしているのは、たぶん私達は手軽な共感が欲しいからだ。

他人と持ち物を比べてもしょうがない

 結局のところ、他人と持ち物を比べてもしょうがないのだ。

 お金がない人が、
 お金のない人の物語を読んで、
 お金持ちが書いたお金のない生活に共感する。

 恋人がいない人が、
 恋人のいない物語を読んで、
 恋人のいる人が描いた恋人がいない物語が評価される。

 それに良いも悪いもないけれど、
 そうやって自分が何かを手に入れられるわけではないのだろう。

 私達は自分の持ち物でやりくりしていくしかない。あるいは欲しい物があるなら自分を見つめなければならない。

 誰かが何かを持たないことに安心感と共感を覚えても、私がどこかにたどり着けるわけではない。私はその場にいるだけなのだ。

物語について

 何かの物語に触れたとき、そこに共感のようなものを覚えたとき、それでもその物語を描いた人は私とは違う人間なのだ。

 私達は自分の物語、というか人生に、責任を持たざるを得ないときがくる。
 だから力強く生きるというわけではないが、他人と持たない物を並べ合っても、私達は行きたい場所には行けないかもしれないのだ。

 だから人は少しだけ、他人の物語と自分の物語を区別して歩く時が必要なのだ。

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