人は物事に意味を見出したがる

オムニバス(エッセイ風小説)

人は物事に意味を見出したがる

人生の示唆

 人は物事に意味を見出したくなる。
 何か自分にとって不都合なことや非日常なこと、あるいは因果関係の掴みづらい幸運なことが起こったとき、私達はそれが自分のこれからの生き方を示唆する何か特別な啓示なのではないかと考えてしまう。

 例えば自分に好ましくないこと、不幸なことが起こったとき。
 私達はそこで日常の大切さを改めて感じる。あるいは同じような境遇の人達を救うことが自分の使命のように感じる。

 例えば幸運に恵まれたとき。
 私達は世界を明るく見渡すことができる。どこかの国の戦争も、失われる命も、そのときばかりは忘れさせてくれる。
 私達は自分の生き方が間違っていないと、一つの出来事だけで手応えを感じる。

諸行無常

 しかし多くの場合、私達の人生や世の中はただそうあるだけであり、そこに意味のようなものはない。
 もちろん、それが起こった理由のようなものは存在するかもしれない。
 しかし、そこに何か高尚な意味があるかと言われれば難しい。

 たぶん私達は、ただそうあるだけの世界で生きている。
 私達が生まれた理由に意味などないかもしれないし、私達の命に理由はないかもしれない。

 私達に降りかかる不幸も幸福も、未来を示唆する手掛かりにはならない。

 私達はたくさんの命が入れ替わっていく大きな生命の流れの中の一つでしかない。

人生に意味を見出すということ

 それでも、私が生まれてきたことに理由があったらいいなと思う。
 私の命に意味や価値があったらいいなと思う。
 私が生まれたこの世界に、尊い何かがあったらいいなと思う。

 私達は人生に意味を見出さずにはいられない。
 無味乾燥とした生き方では、私達は人生を少々時間を長く感じ過ぎてしまう。

 生きることはきっと、何を思えるか、何を願えるか、何を信じられるか、何に意味を見出せるかなのだ。

 もしも世界に意味がないのであれば、何かに意味付けをするのは個人の自由だ。

 何を大切に思うか、何を愛おしく感じるか、何を心に抱くか、それは私達の人生の自由なのだ。

 そうすることで、悲しいことを抱えても生きていくことができるかもしれない。
 嬉しいことや楽しいことをもっと愛おしく感じることができるかもしれない。

 それは大きな使命ではないかもしれない。
 けれど例えば日常の、ちょっとしたことでも私達は人生の愛おしさを感じることができるかもしれないのだ。

 私達は生きているから、この命にささやかな意味を見出したい。

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