「売ります。赤ん坊の靴。未使用」とは
売ります。赤ん坊の靴。未使用。
For sale: baby shoes, never worn.
正確な出典は不明だが、多くはヘミングウェイの作品とされる短い小説だ。
世界一短い小説なんて言われることもある。
売ります。赤ん坊の靴。未使用
この文章だけで物語は完結する。これ以後も以前もない。
短い小説であるショートショートというジャンルにおいても、極端に短い物語と言える。
このためショートショートとは区別し「フラッシュフィクション」と呼ばれることもある。
なぜこれが「文章」ではなく「物語」とされるのか。
それはおそらくこの文が直接書いてはいない部分、行間や背景を意識した作品であるからだろう。
売ります。赤ん坊の靴。未使用は、暗に子供を亡くした親を表している。
おそらく舞台は古い時代。例えば靴はそれなりな高級品で、靴を靴屋以外が売ることはなかったような時代。
そんな時代に、生まれたばかりの子供を亡くした夫婦がいた。
子供は一歳になる前にこの世を去り、自身で地面を踏みしめることはなかった。
夫婦の家には、我が子との生活に使っていた物と、これから使うであろう物があった。
靴もその一つだ。我が子が履くことのないまま、使う機会がなくなった靴。
歩く姿を見たかった。夫婦はそんなことをふと思う。
「ママ」と「パパ」、初めて話す言葉はどっちだったろう。
大きくなったら、一緒に料理ができただろうか。一緒にキャッチボールができただろうか。
あなたが生まれてきてくれて、お母さんもお父さんも本当に幸せ。
子供が成長して、言葉がわかるようになったら、改めてそんなことを子供に言ってあげたかった。
我が子がいなくなると、こうも家の中は静かだったのだと夫婦は気づく。
子供が結婚して家を出たら、夫婦二人の家は静かだろうなと思っていた。
けれど、今の静かさは別の静かさのように感じる。
はしゃいでずいぶんと高価な靴を買ってしまった。
すぐに大きくなって履けなくなるのに。子供に物の良し悪しなんて大してわからないだろうに。
買わなければよかったと、ふとネガティブに考え、夫婦は自己嫌悪する。
少しでも子供との未来を考えることができたと思えば、この靴も、幸せを与えてくれたのかもしれない。そう思いたかった。
けれど、この靴がいつまでも自分達のそばにあるのは辛いことだった。
とは言っても、このまま捨ててしまうのは、なんだか我が子を否定するような気がした。
夫婦は新聞の広告欄に広告を出した。
売ります。赤ん坊の靴。未使用
この物語に正解はないし個々が文脈を楽しむものであるが、例えばそんな物語ではないだろうか。