良い天使と悪い天使とは?
肩の天使
良い天使と悪い天使とは、登場人物の葛藤を描く際に、二人の天使が善意と悪意を囁いて見せる表現技法である。
例えばある男性が道を歩いていると五百円玉が落ちていたとする。
このとき男性の想像の世界で二人の天使が現れる。一方は「ラッキーだな。もらっちまえよ」とそそのかす。他方は「ダメです。きちんと交番に届けてあげましょう」と促す。
良い天使と悪い天使の表現は、物語に触れたことがある人ならベタとも言えるほどよく知られた技法ではないだろうか。
良い天使と悪い天使はおおむね登場人物の肩から上がクローズアップされ、顔の左右に天使が現れる構図を取ることが多い。このため「肩の天使」と表現されることもある。
天使と悪魔
肩の天使は誰しもが持っている「善意」と「悪意」をわかりやすく表している。
人は多くの場合、この善意と悪意の間で葛藤してしまう。あるいは道徳と不道徳の間で葛藤する。
このため「良い天使」と「悪い天使」ではなく、人の葛藤を「天使」と「悪魔」で表現するほうがしっくりくる人もいるかもしれない。
実際創作物において登場人物が葛藤する際、肩の上には二人の天使ではなく(少し気弱な)天使と(お調子者の)悪魔が描かれることも多い。
一方で、人の葛藤を「良い天使」と「悪い天使」で描くことはそれはそれで興味深い。
つまりどちらも「天使」であることは、一般的には聖なるイメージがある天使にも負の側面があることを示唆している。天使にも不道徳な面があるということだ。確かに神話などで神は思った以上に人間味のある過ちを犯す。
さて、冒頭で話した五百円玉を拾った男性の話の続きをしたい。
道を歩いていて五百円玉を拾った男性。落とし主は誰かわからない。
五百円という金額は、とても大きい金額というわけではないが、少しの物(例えば缶コーヒーであったり少しのお菓子)を買うのであれば充分な金額である。
しかしこれは、「誰か」が落とした「誰か」のお金なのだ。少なくとも、自分のお金ではない。
「交番に届けようか」少し考えて男性は言った。
幸い今日は日曜日の昼下がり、散歩をしていてこれから予定は特にない。幼い娘と一緒に近くの交番まで行くのも悪くないだろう。男性は手をつないだ自分にとっての天使と一緒に、五百円玉を持って交番へ向かった。
肩の上の天使より、手をつなぐ幼い我が子のほうが、人の善行を促すものだ。