傘は半分しか使えない

オムニバス(エッセイ風小説)

傘の半分

 雨の日に傘をさす。
 右手で傘を持って、私の左肩は風に吹かれる雨で少し濡れる。
 私の身体を覆うのは傘の半分だけで、残りの半分は誰を覆うわけでもない。

 雨の日に傘をさすたびに私はふと思う。
 傘というのは不便な物だ。広げた傘の半分は使えない。
 私が雨に濡れないように使えるのは傘の半分の面積だけ。
 残りの半分は何か役立つわけでもなくて、むしろ私の右側に余計なスペースを作ってしまう。

 人の文明はこんなにも発展しているのに、未だに雨から身を守る傘という道具は原始的だ。
 広げた大きさの半分しか使えない。さしていても身体の端は濡れてしまうし、風にあおられれば壊れそうになる。
 車が走り飛行機が空を飛び、インターネットで世界中の人々が情報を共有できるような文明なら、雨から身を守るもっと優れた道具が出てきてもいい気がするのだけれど。

 私達の文明は意外と大したことがないのかもしれない。
 私達はいろいろな物を作り、いろいろな考えを深め、いろいろな生活を築いているけれど、それはすごく些細なもので、私達は未だに雨からろくに身を守ることもできない。

 もう少しロマンチックな考え方もしてみたい。
 傘が半分空いているのは、誰かと歩くためかもしれない。
 私達は傘を一人では使い切れない。残りのスペースが常に空いていて、誰かと歩いて初めてそのスペースは埋まる。私達が必要なものは結局シンプルなのだ。
 私達は誰かと居たいし、その気持ちは文明の進歩で埋まるわけではない。

 もう少し現実的な考え方もしてみたい。
 雨で多少肩が濡れるくらい、大したことではない。
 半分の面積が使えなくても、手軽に使える傘は便利だ。
 身につける必要もないし、充電の必要もない。
 私達が雨から身を守るためには、傘で充分なのだ。

 雨が降る薄暗い道で、傘をさして視界が狭くなると、いろいろなくだらないことを考える。
 その考えの大抵は日常生活の役には立たず、非凡で珍しいものでもなく、ただ私の中の頭をぐるぐると回り、次第に消えていく。 
 

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