ハムスターは夜中に脱走しているかもしれない

オムニバス(エッセイ風小説)

前項

ハムスターが脱走する理由

 ハムスターは夜中に脱走しているかもしれない。時々私はそう思う。

 もちろんそうでないかもしれない。
 夜行性であるハムスターは私が起きているときは寝ていて、夜になると動き出す。ケージの中でごはんを食べたり水を飲んだり回し車を走っているかもしれない。そして朝になること小屋の中で眠るのかもしれない。
 透明なケージの中でおがくずを掘り進め、もぐったり出たりする。ケージの真ん中の広い場所で素早く動くこともあれば、回し車の裏の狭い場所を体をよじらせながら通ることもある。
 けれどそれは全部ケージの中で起こっている。ハムスターはそのケージの中で(不自由かもしれないけれど)自分の好きなように動く。でもそれはケージの中でのこと。だってハムスターはケージから自分で出ることはできないから。

 けれど、もしかしたらそうでないかもしれない。ハムスターは脱走しているかもしれない。だってケージのかなり上のほうも、なぜか汚れている。まるでハムスターが触ったみたい。
 私はハムスターが脱走したところは見たことがない。けれどハムスターが一晩中ケージで過ごしたところも見たことがない。だって私は寝ているんだから。
 だからハムスターが脱走していないと思うことと同じくらい、ハムスターが脱走しているかもと思ったっておかしくないはず。

 目で見たものがきっと全てではない。
 私達が想像している物事は、まったくの真逆かもしれないのだ。

 ハムスターは脱走しているかもしれない。
 かじり木をかじるように、毛づくろいをするように、そのちょこまかとした動きでケージのロックを(偶然にも)外しているのかもしれない。
 ケージから出たハムスターはまずケージが置いてあるカラーボックスから慎重に降りていく。リビングの床に触れると、今度はカラーボックスの裏に行く。そこからおでかけようのバッグを取り出すのだ。荷物を持ったハムスターはリビングを抜けて玄関に行く。きっと玄関にはハムスターがこっそり作っておいた抜け穴があるのだ。人間にはわからないくらい隅っこに。

 ハムスターはバッグを持って玄関を出る。そして夜中の街を楽しむ。とはいっても夜中に開いているお店は限られるから、行く場所は限られる。駅前の二十四時間開いているファミレスだ。
 ハムスターは店内に入ると開いている席に座る。店員さんが注文を取る。不景気な世の中だし、夜中じゃファミレスもお客さんはほとんどいない。だから人間から見たら食べる量が少ないハムスターでも大切なお客さん。きっとファミレスの店員さんで夜中に働く人は特別な教育を受けているのだ。

 ハムスターが頼むのはコーヒー。ハムスターにとって夜中は起きたばっかり。だからコーヒーを飲んで目を覚ましたいんだ。ハムスターはブラックのコーヒーの香りを嗅いだ後、ゆっくりと飲む。ハムスターにとって、ホッとできる自分一人の時間。夜中の静かな街を眺めながらコーヒーを飲み、持ってきた小説を少し読み、穏やかに過ごす。そしてコーヒーを飲み終え、代金を支払う。

 そのあとの行動は日によって違うけれど、大抵ハムスターは公園に行く。
 私にとっては近所にある小さな公園でも、身体が小さいハムスターにとっては充分に広いテーマパーク。芝生も遊具もとびきり大きい。
 ハムスターはそこでしっかりと汗を流す。

 帰ってきたハムスターは玄関を通ってリビングに入り、カラーボックスをよじ登る。そしてケージの中に入りガサガサとしてケージのロックを内側からかける。あとは回し車を走ったり、ハムスターフードを食べたりする。そして朝になる頃に眠る。

 私や家族が起きたころ、ハムスターは寝ている。私は学校に行く。
 ハムスターも私も、いつも通りの一日。
 

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