大雨や豪雨の日の学校・会社の思想

詩・散文

大雨・豪雨の世の中

大雨の出社

大雨や豪雨の日。
友達や家族の「気をつけて」は優しさの言葉。
会社の「気をつけて(出社して)」は
「休暇も手当も出さないけれど、怪我をされると責任問題だからうまくやってね」 という責任を負わない言葉。


学校と会社

大雨や豪雨のとき、
学校の「休みでいいんじゃない」と
会社の「休みでいいんじゃない」が重なるといいのだが、
多くは休校と出社になる社会。


大雨の休校

大雨や豪雨で休校したら、子供は嬉しい。
それはもちろんそう。
けれどそれは、義務教育(無償で学校を利用し学習をする機会)を1日減らしているということでもある。
大人になる中で、そういうコスト意識もある時期からは身に付けたい。


大雨の思想

例えば大雨や豪雨の日、
「会社に這ってでも来た人が偉い」という風潮は好きじゃない。
でも「頑張ってきた人」が損をするとそれはそれで違う気がする。
両者のバランスを取ったうまい思想はないものか。


大雨の日の自己犠牲

例えば大雨や豪雨で、
頑張って出社して結果として車など私物が壊れても、労災にはならないらしい。
労災はあくまで本人の怪我が対象らしい。
自己犠牲の範疇をどの程度にしておくかを考えさせられる。


インフラの格差

大雨や豪雨で毎年のように冠水し通行止めになる道路。
過疎地であればあるほどそういう道路の改善は見込めないのかもしれない。
災害時に痛感するインフラの格差。


権利と知恵

仕事に命をかけなくていいのはサラリーマンの特権だが、
その特権を誰もが自覚し享受できいるかといえばそうでもない。
自分の権利を活かすのも、生きていく上での知恵なのだ。


休んでもいいんじゃない?

大雨や豪雨のとき、自分に対しても 他人に対しても
「もう今日は休んでいいんじゃない?」と思えれば、
社会はもう少し気楽になるのかもしれない。


寛容さの動機付け

ネットにせよゲームにせよ、
家で楽しく過ごせることは、
無理に外に出なくていいんじゃない?
という動機づけになる。
それは豪雨とか災害とか、
そういうときに店が閉まっていても困らないという寛容さにつながる気がする。

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