私達は老害とどう生きるか

オムニバス(エッセイ風小説)

私達は老害とどう生きるか

 私達は社会で生きていく上で時折「うんざりする壁」に出会うことがある。

 例えば歳を重ね価値観が凝り固まり時代にそぐわなくなった権力者。人々はそのような年寄りをしばしば「老害」と呼ぶ。
 うんざりする壁は老害だけではない。
 例えば身動きの取れない組織。「今までがそうだったから」という慣習。個を尊重しない体制。

 そういったものは人をうんざりさせ、やる気を奪い、大人の社会のカッコ悪さを強調させる。

 私達はこのようなうんざりする壁にどう対処したらいいのだろう。
 私達は老害とどう生きていけばいいのだろうか。

 身も蓋もないが、老害に対して私達ができることはできるだけ関わらないことである。
 人が人を変えるということは大変難しい。
 一人の人間が組織を変えるということは(その人個人の人生だけで見れば)非常に労力が必要でコスパが良い活動とは言い難い。

 私達は老害を正したいし、間違った体制は崩したいし、時代にそぐわないものは新陳代謝を促したい。それは私達の根源的な欲求の一つかもしれない。
 しかしいつの時代も古い考えと新しい考えの争いは絶えない。つまり人はそういうものだということだ。いつの時代にも老害はいる。それにうんざりする若者もいる。

 だから私達にできることは、うんざりするものばかりに心を囚われないで、自分が心躍るものや共感できるものに目を向けることだ。
 それは逃避とは少し違う。物事と適切な距離感を持つということだ。
 それは排除とも少し違う。老害を排除することは難しいが、老害からできるだけ離れ自分のストレスを減らす工夫はいくつかある。

 私達の人生は限られている。この世の全てのものを見て、触れ、知るには時間が足りない。
 私達は自分にとって好きなことや美しいと思えるものや尊いと思えるものの近くで生きたほうがいい。
 逆に自分がうんざりするものや嫌悪するもの、消耗するものにわざわざ近づく必要はない。それは完全に排除することはできないかもしれないが、少なくとも私達はそれらから今より少しだけ距離を置くことはできる。

 私達の人生の時間は、限られているのだから。

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