給湯室でのカップ焼きそばの作り方

オムニバス(エッセイ風小説)

もしも給湯室でカップ焼きそばを作ったら

職場でカップ焼きそばを食べるということ

 私がカップ焼きそばやカップ麺を食べるときは、家よりも職場のほうが多い気がする。

 自炊が特別に好きでも上手なわけでもないけれど、家なら別の食べ物があるし、いつでも買い物に出かけたり飲食店に行くことができる。(私は手際が悪いから)ゆっくりと料理をすることもできる。

 たぶん私がカップ焼きそばを食べるのは、手軽だからという理由だけでなく、もっと何か別の自由がないときが多い気がする。
 例えばそれは時間とか、自由にどこかに行けることとか。
 仕事の休憩時間というものは、不自由なことが多い。

 弁当を作るのが面倒だったとき、通勤中にコンビニで昼食を買うのも面倒なとき、私は昼食を職場にストックしてあるカップ麺で済ませることがある。

 カップ焼きそばは美味しいし安いけれど、職場で食べると匂いがきつい。
 それでも私が職場でカップ焼きそばを食べるのは、今の職場の人間関係に慣れたことと、女性が多いから異性の目を気にしなくていいことと、仕事で自分がどう見られているか、正直ちょっとどうでもいいと思っているからだと思う。

給湯室でのカップ焼きそばの作り方

 私の職場の給湯室は特別に広いわけではない。(比較的清潔な給湯室があるだけ、私は恵まれていると思う)だから誰かがカップ麺のお湯を入れたり、電子レンジでお弁当を温めたりすると手狭になる。
 狭い給湯室で誰かといると、例えばレンジで食べ物が温まるのを待つ一分弱の時間、私は気まずいしなんだか面倒に感じる。

 だから私はみんながレンジを使い終わったり、コーヒーを入れ終わるのを少し待つ。ある程度給湯室の混み具合が収まった後、私はカップ焼きそばと共に給湯室へ行き、蓋を空けて、火薬とソースの袋を取り出して、火薬を入れてお湯を入れる。

 お湯を注いだ後の三分間、私はその場に居ることもあればその場を離れることもある。
 誰もいなければ大抵はその場に居る。でも誰か、特に一緒に居ても話すことが特に思い浮かばない人が来そうなときは、自分のデスクに戻って携帯をいじっている。

 一緒に居ても話すことが特に思い浮かばないと私が思っている人は、きっと相手も同じような印象を持っているんだろうなと思う。それでも何か社交辞令のようなものを話すとき、私はなんだか自分が恥ずかしくなる。それは私が大人として未熟だからかもしれないし、社交性が不十分だからかもしれない。

 三分経ったらお湯を切る。シンクがボンッと音が鳴るのが嫌だから、水道水を流しながらお湯を捨てる。
 お湯を切ったら私は蓋をしたまま軽くカップ焼きそばの容器を上下に振ることが多い。蓋の内側に火薬が付いていることが多いから。ただでさえ少ない火薬を蓋と一緒に捨てるのはもったいない。
 蓋をはがしてソースを入れて、割りばしで混ぜる。

 カップ麺は美味しいけれど、冷めると美味しくない。そしてカップ焼きそばはスープがないので、冷めるのが早い。そういう意味でも、即席だなと思う。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました