日記を書くことの必要性
日記を書くということが具体的に自分にとってどのように有意義なのか、それを見出すことは意外と難しい。
日記とは一般的にはその日の出来事やそれに伴う自分の感情を書き留めるものだ。
一度しかない人生を生きる上で、日々を振り返ることは生き方として非常に謙虚で丁寧な印象を受ける。
日記を書くことで何かを発見し、何かに活かされ、自分がより良くなっていく気もしないではない。
しかしそうなってくると、「日記を書いたほうがいい」という一種の強迫観念に近いものを感じてしまう。
日記を書くことが正しい日々の過ごし方で、日記を書かない自分は漫然と日々を過ごす堕落した自分のように感じてしまう。あるいはそこまで感じなくても、日記を書かないことで自分が日々の出来事から何かを取りこぼしているのではないだろうかという不安が頭の片隅に残る。
しかし、日記を書くという行為は人にとって本当に必要な行為なのだろうか。
人は過去に戻ることはできない。大事なのは今であり、今によって変化する未来である。
だったら、日記で過去を振り返ること自体不毛なのではないか。
ああすればよかった、こうすればよかった、次はこうしよう、ああしよう。
いくら思ったとしても、それは実行しなければ意味がない。
だったら私達がすることは、過去を振り返るために机に座ってペンを持つことではなく、立ち上がって今この瞬間に行動をはじめることではないのか。
そう考えると、日記というものは単なる慰めであり言い訳でしかないような気もしてくる。
しかし、日記を書くことがもっと個人的に意味のある営みである可能性もある。
なぜなら人には慰めや言い訳、立ち止まる瞬間も必要だからだ。弱い自分を弱いと認め許せる時間が必要だからだ。
言葉を書くことで、自分の心が少しずつほぐれていくこともあるだろう。
それに、過去の出来事を書き連ねることも、決して悪いことではないはずだ。
なぜなら人は忘れる生き物だからだ。
誰かとどこかに行ったこと、誰かと何かをしたこと、自分がしたこと、感じたこと。そのときの世界の出来事。
そういうことを思い出すたびに、世界や自分の人生が愛おしく感じることが人にはある。
振り返ることや、そのために何かを記録することは、きっと悪ではないはずだ。
日記を書くという行為は、人にとって必要なのだろうか。そして私にとって必要なのだろうか。
そして日記には、実際どんなことを書いたらいいのだろう。
迷ってばかりで、今日のぶんの日記も終わってしまった。