○○があれば自分は幸せになれるという考えは間違っていることが多い

オムニバス(エッセイ風小説)

幸せになるために

何かがない自分

 〇〇があれば自分は幸せになれるんだ。
 という考えは大抵間違っていることが多い。
 〇〇とは人によって異なっていて、お金かもしれないし物かもしれないし恋人かもしれない。

 いずれにせよ、自分には何かが足りなくて、それが手に入れば一生続く幸せが手に入ると、人は思いがちだと私は思う。

自分に足りないもの

 ある人は、もっとお金があったら自分は幸せになれると感じるかもしれない。
 人が社会で生きていく上で少なからずお金は必要だから、間違っているわけではない。それでも、日常の小さな幸せを見過ごしていたら、お金がいくらあっても満たされることはないだろう。

 結局のところ、高級なホテルのラウンジで飲むコーヒーも、誰とどんなふうにどんな気持ちで飲むかで満足度は変わる。

 ある人はもっと時間があったら自分は幸せになれると感じるかもしれない。
 仕事が忙しくて、子育てが忙しくて、日々のしないといけないことで忙しくて。
 時間があったらやりたいことができて今よりもっと充実した日々を送れる。そう思うかもしれない。
 人生は時間でできているから、それも間違っているわけではない。

 けれど、今この瞬間から何かをしようとする気持ちと差し迫る何かがなければ、いくら時間があってもしたいことはできないだろう。

 ある人は特定の物があったら幸せになれると感じるかもしれない。
 それは自分を着飾る服やバッグかもしれないし、自分を立派に見せる時計や車かもしれない。

 ある人は自分の容姿がもう少し自分の望み通りなら幸せになれると感じるかもしれない。
 もう少し痩せたら、もう少し目が大きかったら、もう少しスタイルが良かったら。

 けれど、多くの場合、人は物にも自分にも飽きるものだ。
 今日買った魅力的な物も、来年にはただそこにある道具になるかもしれない。
 今日の心躍る整形は、来年は別のパーツのコンプレックスを際立てる役割を担うかもしれない。

 ある人は恋人がいれば自分は幸せになれると感じるかもしれない。
 ある人は結婚するれば自分は幸せになれると感じるかもしれない。
 ある人は自分達に子供がいれば幸せになれると感じるかもしれない。

 確かに、誰かの存在で人は幸せを感じることはある。

 けれど、誰かの存在で自分の足りないものが埋め合わせできるという考えは、対等な人間関係ではないかもしれない。

 誰かと幸せになることと、自分の幸せが他人に依存していることは、似ているようで違うことだ。

何かを満たすその先に

 ○○さえあれば自分は幸せになれるんだ。という考えは、人生を幾分シンプルにしてくれる。
 幸せになるためにはこれがあればいいという答えは、わかりやすくて魅力的だ。
 けれど大抵、人生を永続的に幸せにしてくれる一つのものなど存在しない。

 私達は慣れる生き物だ。
 何かが満たされれば別の物が欲しくなり、
 持っていない物は魅力的で、持っている物は色褪せて見える。あるいは見えなくなる。

 そうやって無限に続く欲求を追い求めることも悪いことではない。
 けれどそれに疲れることだってあるかもしれない。

 求めては飽き、求めては飽きるその繰り返しは、幸せではなく永遠に続く「幸せになりたい自分」かもしれない。

自由であるということ

 自由であること、何かに依存しないこと。
 それは幸せの形の一つだと思う。
 何かがあれば幸せという、条件付きの幸せは私達を急かすだけかもしれない。

 それがなくても幸せな私なら、それを手に入れたらもっと幸せかもしれない。

 けれどそれがないと不幸な私は、それを手に入れても満たされず不幸かもしれない。

 結局のところ、この今に何か幸せを見出すことがまずは大切なのかもしれない。
 それはささやかな気づきなのだ。

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