コメンテーターの芸人が感想と経験則を言うだけのテレビ番組
コメンテーターの芸人が感想と経験則をダラダラと話す。
そういうテレビ番組がつまらないという風潮が、以前よりほんの少しだけ強くなっている気がする。
それはおそらく、誰もがインターネットで聞きたいときに聞きたい人の話を聞きやすくなったからだと思う。
おそらく個人の感想や経験則は、聞き手がその人自身に興味を持っていないと成立しない。
興味のない人の感想なんて知らないし、聞きたくない。
一方で、自分が相手のことを全然知らなくても、例えば専門家だったり当事者のような「情報」を持っている人であれば、その「情報」を「知識」として知りたいときもある。
要するに、聞き手はその人の気持ちや感想という「パーソナリティ」を聞きたいときと、専門的・科学的・現場としてはどうなのかという「知識」を知りたいときがある。
インターネットが普及して、YouTubeだとかTwitterを見ることが当たり前になって、誰もが自分の好きな「パーソナリティ」に振れやすくなった。
自分の好きな物を見て、好きな話を聞いて、好きな考えに触れることが簡単になった。
だからテレビとか報道とかニュースとか、そういうもっと間口が広いメディアでは、「知識」を求められるようになっている気がする。
芸人が素人ポジションで自分の感想を言ったり、教育の専門家ではないママタレントが子育て論を語ったり、コメンテーターがうわべだけの話をしたり、そういうのは「そういうのはいいから」と視聴者に思われる。
感想や経験則を聞きたいなら、聞きたい人の個人のアカウントにアクセスすればいい。テレビや報道やニュースは、客観的なことが求められていく。
感想や経験則を語りにくい世の中になった。よく言えば理論を大切にし、悪く言えば多くの人が時代に取り残されるようになった。
時代の流れは速くて、変化が速くて、個人の経験がすぐに陳腐化する。歳を重ねることが、以前よりも強みでなくなった。経験則で威張れない時代。
そのよう中で、私達は求められる言葉も変わっていく。
このページは、そんな感想でしかないのだけれど。