ストライキを日本もしたほうがいいと思う
ストライキという文化
日本でも、ストライキという文化はもう少し身近になってもいい気がする。
ここで言うストライキとは、例えば会社や政府に大勢で叫ぶだけのようなものではない。
例えば労働環境を改善するために、社員が団結して会社に行かないで、その結果会社が回らず経営陣が困るといった形のストライキのことだ。
経営者と労働者は対等な関係だ。
経営者は労働力を求め、労働者はそれを提供する。その代わりに対価として給料をもらう。
だから労働者が納得できなければ働かないし、それは労働者の権利だ。
そういった気概が必要な気がする。
対等でない関係
サービス残業など、経営者と労働者の関係が対等でない場合がしばしばある。
「会社のため」とか「社会人として」とか「常識」とか言い方は様々だが、要するに会社が労働者に契約以上のことを求める。
それはどうなんだろうか。
相手を困らせる
日本のストライキとか抗議というものは、少し意味合いが違うかなと思うときがある。
例えば会社や政府に大声で叫ぶ。これも行動と言えば行動だが、叫ぶだけなら無視すればいい。要するにされた側はあまり困らない。
これが例えば労働者の要求を受け入れるまで会社に行かないなどであれば、経営者は困るだろう。
日本のストライキや講義は「(正当な手段での)相手が困るような行動をやって意見を主張する」ことが少ない気がする。
しかし交渉には相手が困らせるような手札を持っておくことは非常に大切だと思う。
お願いベースでは
日本は「お願いベース」の行動が目立つ気がする。
自分が嫌なことを我慢しながら相手に「お願い」をすれば、願いが叶うと思っている節がある。
けれど価値観が多様な現代において、そういったやり方は限界を感じる。
私達は価値観が違う者同士、論理的に合理的に話しを進めないといけないときがある。
自分がこのようにしたい。そうでなければあなはこのような損失がある。
そういった主張をいじわるではなくて、ただ客観的に言わないといけないときがあると思う。