自分に変化がないと、他人の変化に人は嫉妬する

連載小説

本編

小学校の孔雀小屋

 僕の小学校では孔雀を飼っている。
 正確には、僕が通う小学校ではウサギとメダカと孔雀を飼っている。校舎が取り囲むようにしてできた中庭に孔雀の飼育小屋はあり、そこに雌の孔雀が一羽、雄の孔雀が二羽飼育されていた。
 孔雀は五年生と六年生の係が世話をすることになっていて、僕や高橋など何人かがその係だった。僕達は孔雀小屋をほうきで掃除したり、エサや水を取り替えている。

 孔雀の雄の羽は、雌の気を惹くアピールなのだそうだ。
 その話を聞いて、人間と似ているなと僕は思った。
 みんな意味のないものが好きだ。意味がなければないほど、そこに意味があるように感じる。
 でも、やっぱりそこには意味なんてないんだ。どんなに目を凝らしても頭で考えても、意味のないものに意味はない。けれど意味のないのものを他者が好むから、意味のないものは必ずしも価値がないものとは限らない。

変化のない自分と変化のある他人

 高橋がみんなと帰っている途中で白い家に行くことも、意味のないことのように僕はふと感じた。
 そんなことする必要ないじゃないか。
 そんなふうに思った。そして高橋がなぜその白い家に行くのか(僕も含め)周りが疑問に持つことも、意味のないことのように感じた。人は人、自分は自分だから。

 けれど、自分の心がわずかにそわそわするのはなぜだろう。
 高橋が白い家に行くことは、僕にはない非日常のように僕は感じた。
 高橋には特別な何かがあり、僕にはない。
 高橋は非凡であり僕は平凡で、物語の主人公は高橋で僕はその物語のその他大勢にすぎない。
 なぜかそんなふうに思った。そんなふうに思うと、僕の心はわずかにそわそわした。高橋が白い家に行く理由を知ることで、そのそわそわが解消されるような気がした。
 でも、高橋が話したくないことを無理に聞いて、何かを知って、それがなんになるというのだろう。それで僕が仮に何か安心したとして、それが何になるというのだろう。

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