【ショートショート】ラプラスの悪魔が私に教えてくれること

哲学・思考実験・パラドックス

ラプラスの悪魔は

 ラプラスの悪魔という思考実験の類がある。
 完全なる知識とそれを解析する力があれば、全てを知ることができ未来をも予測できるのではないかという考えだ。

 私達はガラスのコップがテーブルから落ちれば、コップは割れ、中の水がこぼれることを予想できる。それは私達がガラスという物質はどういうものなのか、水という物質はどういうものなのか、物が落下するとはどういうことなのかを知っているからだ。
 もしもガラスのコップがテーブルの端、それも今にも落ちそう場所に位置していれば、多くの人はそのコップをテーブルの中央に動かすのではないだろうか。それはコップが落ちるという、ささやかな未来を予測したとも言える。
 逆にガラスのコップが落ちたのなら、それはガラスのコップの未来を見通す、視野の広さがなかったからだ。
 もしも私にこの世の全ての知識とそれを理解する力があれば、ガラスのコップは割れなかったし、もっと先、例えば私が誰と出会いどのように生きていくかも予想できるかもしれない。

 私達は知識があることで予測できる物事がある。知識があることで、知識がないときより幾分先を見通すことができる。
 ラプラスの悪魔という考え自体は飛躍した思考実験の域を出なくても、それは私達にある種の示唆を与えてくれる。
 人は知識を得ることで、どこまで未来を予測できるのだろうか。
 もちろん、完全なる知識など存在しないから、未来を完全に予測することはできない。
 それでも、知識を突き詰め、未来をもっと見通せるようになったら、それはその人にとって望ましい未来を実現できる力になりえるのだろうか。それとも、現実を知らされるただの落胆に終わるのだろうか。

 私は割れたコップを片付ける。ごみ袋にガラスの破片を入れ、私は部屋着のままアパートから出る。明日は不燃ごみの日で、私は朝寝坊で、朝からごみを出すのが苦手だ。だから前日の夜にゴミを出すことが多い。全て、知識で予想できること。
 私は夜の十一時頃にいつも眠る。部屋の電気が消え、私の一日の終わり。
 朝、私が起きた頃にはきっと朝になっている。朝になれば太陽が昇る。直接見ていないけれど、予想ができること。知識は、直接見聞きしないことを人に予想させてくれる。

 そして予想通り、夜は明けて朝になる。私はけだるく起きて、身支度をして、家を出る。

 仕事に行くとき、ごみ収集所を覗いてみる。私のゴミだけがない。これで三回目。たぶん私の生活を覗いている、気持ちが悪い誰かがいる。その誰かは私と直接話さず、私のことを知り、私のことを予想している。私が夜にゴミを出すこと。この地域の不燃ごみの日。誰かが私のことを予想し、私はその気持ちが悪い誰かを予想している。私が今日、警察に行くことを、その誰かは予想しているのだろうか。

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