機嫌が悪い人をそっとしておいてあげるということ

連載小説

本編

紫陽花とスプリンクラー

 小学校の通学路にあった豪邸は、庭にスプリンクラーが設置してあった。
 豪邸はレンガの塀に囲まれているけれど、斜面に位置していたため僕が坂道を上っていると少しだけ敷地内を見ることもできた。別に覗いていたわけではないけれど、毎日の登下校で自然と目に入った。
 円盤状のスプリンクラーは普段は庭の地面に接している。晴れた日にはせり上がり、回転しながら水を撒いた。その自動化された営みが、当時の僕にはなんだか不思議だった。

 そしてまったく別のとき、僕がよく見ていたアニメでスプリンクラーが庭に水を撒くシーンがあった。そのアニメの家も豪邸で、広い庭を持っていた。
 アニメのスプリンクラーも、登下校で通る豪邸のスプリンクラーも、どちらも円盤状で回転しながら水を撒く。晴れた日に撒かれた水が、太陽光でわずかに反射する。

 おそらく僕が、現実と創作物を比較した最初の記憶。
 現実のスプリンクラーと創作物のスプリンクラーが、僕の中で混ざり合っていく。
 それは考えてみれば奇妙な感覚だった。
 創作に引っ張られ、現実が非現実な記憶になっていく。
 あるいはフィクションが、ノンフィクションに入り込んでいく。

高橋がビーカーを割った

「片づけなさい」
「わかってます」

 理科の時間、高橋が理科室のビーカーを割った。わざとではないし、それは偶然の出来事だった。
 けれど端的に言えば、それはタイミングが悪かった。教室は静かでピリピリして気まずい空気になった。
 その日の授業は担任の諸事情で代理の先生が行っていた。その代理の先生というのが、僕達の間であまり評判が良くない先生だった。
 加えて今日の高橋は機嫌が目に見えて悪かった。なぜ機嫌が悪かったのかはわからない。しかし少なくとも、それを聞くことをためらうくらい、機嫌の悪さが外に漏れていた。
 僕だって勉強は好きではないし、(教科にもよるが)授業は退屈だった。けれど今日の高橋は理科の授業に対して明らかに態度が悪かった。
 僕と高橋は同じ班で、同じ実験をしていた。五人グループで作業を分担する中、高橋の肘が当たってテーブルのビーカーが床に落ち、割れた。
「あ」
 ビーカーが落ちたとき、高橋はボソッとそう言った。
 その口調と表情から、ビーカーを落としたのはわざとじゃないし、高橋も少なからず驚いて戸惑ったことがわかった。それと同時に、めんどくさい中でめんどくさいことが重なったという、徒労感のようなものが高橋から見てとれた。
「気をつけなさい」
 先生の最初の言葉かけは怪我がなかったどうかの安全確認ではなく、高橋を非難する言葉だった。
 ガラスや陶器が割れたときは、割った人を責めるのではなく、まずはけがをした人がいないか確認する。あるいはその人を心配する。
 僕はわりと物心ついたときからそういうものだと思っていた。それは僕が優しいからというわけではなくて、一種のマナーというか形式として頭に入っていた。
 僕がそう思うようになったきっかけはなんだろう。僕が家の皿を割ったときの母さんの言葉かけだったかもしれないし、母さんが洗い物をしていて食器を割ったときの父さんの言葉かけから学んだのかもしれない。
 いずれにせよ、先生は高橋に対して最初に受容ではなく非難の感情を向けた。そういうところだよ。だから好かれないんだ。と、僕は心の中で思った。
 機嫌が悪かった高橋は、好きじゃない先生に非難されてより冷たい表情になった。反抗はしないが、先生を見下しているような、そんな口調だった。反抗しているわけではないし、ビーカーを割ったこともわざとではないから、先生もはっきりとは怒らない。けれどビーカーを割る前から高橋は態度が悪かった。だから先生は高橋に対して冷たかった。
 高橋はほうきとちりとりで割れたビーカーを片付ける。
「手伝うよ」僕は言った。
「別にいいよ。手伝うほど破片散らばってる?」
 気を遣ったつもりだったが、高橋の口調は冷たかった。
 理由ははっきりせず、モヤモヤと機嫌が悪いときが人にはある。そういうときは、あれこれやってあげようとせず、ただそっとしておくことも大切だ。知ってはいたけれど、僕は改めて学んだ。

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