図書館に行く|お金をかけない丁寧な暮らし

お金をかけない丁寧な暮らし

図書館に行くということ

 公共の施設やサービスを使うことは意外と便利だ。
 公共の施設やサービスで似たようなことができるのに、民間のものにお金を出している人は多い。
 人それぞれ好みの問題だが、僕は基本的に自分が住んでいる街の施設や制度は充分に使う派だ。

 僕は休日に図書館に行くことがたまにある。
 ものすごく気に入った本は書店で買うこともあるが、少しだけ読んでみたい本や買うほどでもないかなと思える本は図書館で済ませることが多い。
 図書館というものは良心的だ。無料で何度も借りることができるし、一度にけっこうな冊数の本を借りることができる。もちろん図書館に置いてない本もあるが、お願いすると場合によっては取り扱ってくれることもある(僕は実際に何冊か読みたい本をリクエストして、蔵書に加えてもらったことがある)。

 僕の家の近くにある図書館は都心にあるような大きくておしゃれなものではないが、そのぶん混んでいなくていつでもゆっくりと本を選ぶことができる。読書用の机や椅子も大体は空いているから、僕はそこでダラダラといろんな本をつまみ食いのように読むこともある。

 図書館というものは(当然ながら)静かで、「本を読むための空間」というものはいいものだ。
 作者やジャンルごとに本が並べられた本棚とか、それを読むための椅子や机。それら管理するアナログなインデックス。人が知識を丁寧に蓄えようとするその空間が、僕は好きだ。

 本を読むという行為は時間はかかるがお金はかからない。もちろん、お金がかからないことが本を読む理由ではないけれど、それは一つの示唆でもあると思う。
 つまり、本を読むということは何かを消費するのではなく何かを蓄える時間なのだ。
 僕達は本を読むこと、文字を読むことで知識を得たり感動したり物事を考えたりする。それは知識や感情を自分の中に入れていくということだ。

 穏やかな気候の休日にふらりと図書館に行ってたくさんの本を眺める。そして気になるものを手に取ってあてもなく読んでみる。その中で新たな発見や本との出会いがある。それが僕は嫌いじゃない。

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