人生は電車に乗ることと似ている

オムニバス(エッセイ風小説)

生きることは電車に乗ることのように

人生の電車

 生きることは、電車に乗ることと似ている。
 つまり大きな流れに乗りながら物事を選んだり決めたりしないといけないということだ。
 その大きな流れは自分のためだけに待ってはくれないし、乗り降りのタイミングは決まっている。

 人が一人で歩いていける距離はたかが知れている。
 だから人は社会の中で生きていくとき、しばしば電車に乗ることを強いられる。
 僕達は電車が出発する時刻にタイミングを合わせ、電車が向かう方向を注意深く確かめながら、電車に乗り込む。大きな箱の中で時には腰を下ろし時には吊革につかまって揺られながら、遠く離れた場所へ、あるいは近くて見慣れた場所へと向かっていく。

 だから僕達が生きていく上で必要なのは、待ち時間の暇つぶしの方法と、必要なタイミングで必要な電車に乗れる身軽さだ。

 僕はいつからか生きることをそんはふうにイメージしている。

電車が向かう先

 僕達はどこへ行くのだろう。
 これが電車であれば路線図を見ればわかる。
 けれど人生とか、社会とか、世界とか、そういうものに路線図はない。

 僕達はどこかへ向かうために電車に乗るけれど、それが最終的にどこへ行くのかはわからない。
 それでも僕達は電車に乗る。それは自分で選んでいる気もするし、結局は選ばされている気もする。
 考えれば考えるほど、僕達はこの世界で本当にちっぽけな一つの存在でしかないんだ。

実際的な話

 出口のない話はやめよう。もっと実際的なことを考えよう。

 結局のところ、人生は何かを選んだり、何かをどのタイミングでやめたり始めたりするかの決断の連続だ。
 僕達はいつも自分のペースで物事を決められるわけではない。いつも自分の考える魅力的な選択肢から物事を選べるわけではない。
 僕達にできることは、様々な流れを見極めベストを尽くすことだけだ。
 それをある人は決断力と言うし、またある人はフットワークとも言うだろう。

 僕達は電車を運転しているわけではないけれど、流れを見極め上手に乗り降りをすれば、幾分充実した時間を過ごすことができるだろう。きっとそれが、電車を乗りこなすということだ。

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