生活感について
生活感のない生活・暮らし・住居に憧れる人は多い。
けれど、個人的には生活感のある空間を僕は否定しない。
結局のところ、僕は僕に馴染んだ生活をできたらと思っている。
僕にとって必要な物があって、不必要な物がない。「ただそうあるだけ」の生活。
僕が日常を送る上で必要な物がそこにあって、それが他人から見れば「生活感」であったとしても、それはそれで仕方のないことだ。
例えば僕はシャンプーの類は普通の物を買って、なくなれば詰め替え用を買っている。
おしゃれで生活感のない人は、おしゃれな容器だけを買ってそれにシャンプーを詰め替えたりしているかもしれない。
けれどこれは(少なくとも今の僕にとって)なかなか難しい生活スタイルだ。
まず、シャンプーの種類を変えたいときにちょっと困る。ダメではないだろうが、シャンプーの種類を変えるときに容器にそのまま新しい詰め替え用を入れるのはちょっと抵抗がある。だからといって容器を隅から隅まで洗うかと言えば、それもちょっと面倒だ。
それに、シャンプーやコンディショナーの容器というものは多かれ少なかれだんだんと汚れてくすんでいく。それなりに掃除をしていても、やはりどこかくたびれていく印象は否めない。
洗いやすくてくたびれず、長く使えて様々なメーカーの詰め替え用と互換性のある容器があったら使いたいが、そういう物をコスパ良く見つけることが僕はまだできていない。
だから僕は普通にシャンプーを買って使って、なくなったら詰め替え容器を買えばいいかと思っている。そしてある程度そのサイクルを繰り返したら、気分と共に別のシャンプーを試してみる。
たぶんシャンプーの類を雑貨屋で買ったような容器に詰め替える人は、通常品の商品名がどんと書かれたラベルや外観を好まないのだと思う。それが部屋の雰囲気を損なう。
僕もわからなくはない。けれど、それは許容できなくもない。
少なくとも僕にとって浴室にシャンプーがあるのは当然だし、そのシャンプーが一般的に売られているものであることもまた当然なのだ。それは生活感があることかもしれないが、不自然なことではない。
使い切ってもいないのにシャンプーが浴室に二個も三個も中途半端に乱雑に置いてあったら(家族がいてどうしても各々のこだわりがある場合は別だ)、僕はそれはどうなのかなと思う。けれど浴室にシャンプーが一つ、洗面台の下の棚に詰め替え用のストックが一つあることは、別にそれでいいと思う。
それは僕にとって当然で、日常生活が困らない状態にしてくれている空間なのだ。
だから僕は洗いやすくて長く使ってもくたびれず、どんな詰め替え用にも対応した容器がコスパ良く手に入らない限り、普通に市販されているシャンプーと詰め替え用を使っている。それは生活感があるが、自然なことなのだ。