不妊の妻と年下の旦那

オムニバス(エッセイ風小説)

子供がいない生活

 私達が子供のいない、夫婦二人の生活を改めて選んだのは私が四十になったときだった。
 この年齢で子供を産まないことを選ぶのが早いのか遅いのか私にはわからない。いや、おそらく子供を初めて授かる年齢としては遅い方に入るだろう。けれど、子供を作らないということを主体的に決めるという意味ではまだ勇気がいる時期だとも思う。少なくとも私には。

 それでも私は夫と二人だけの生活を考え始めていた。三十七のときに一度流産をして、それ以来私達は子供を授かっていない。不妊治療もやった。夫婦二人で検査も受けた。どうやら私の方は、子供ができにくい体質らしい。しかしそれは傾向の話で、妊娠が不可能というわけではない。そういうことだった。
 可能性というものは時として残酷だと思う。ゼロではない可能性は、人を期待させるし、諦めることが難しくなるし、その可能性をつかめないのは私のせいだと自責を感じさせる。そしてそれでも可能性があることは恵まれたことだという板挟みにあう。
 可能性をつかむことができない日々に、私は少し疲れていった。その疲れを少しと表現したのは、すごくと言ってしまうともう立ち上がれないかもしれないからだ。そんな日々の中で私は考える。子供がいる生活は素敵なのかもしれない。けれど、二人で過ごす今の生活だって私は楽しいし尊いと思っている。
 ある日私は、ユウスケに二人のこれからについて婉曲に聞いてみた。
 「二人の生活も楽しいと思うよ」
 ユウスケはそう婉曲に答えてくれた。それ以来、私達は夫婦二人を前提にした生活を組み立てていった。人生設計と言えば大げさだが、私達の生活はそれまでよりいくぶん見通しの立つものとなった。
 それでも私の心は雲一つない晴れた空かと言えばそうではない。子供を持たない人生と、子供がいたかもしれない人生。二つの可能性の間で私は今どんな選択をすべきか、どんな選択をすべきだったのか。そんなことがふと頭をよぎる。そしてそれをどこまで考えていいのか私は戸惑う。一旦考えはじめてしまえば、私は今の心と生活に戻ることができないかもしれない。それが不安だった。

私と夫

 ユウスケは私より五歳年下になる。三十五歳。きっと男性にとって子供をあきらめるには早い年齢だろう。ユウスケが私と二人の生活を選んだ理由の一つに、私の体質と年齢があることは明らかだった。
 後悔してない?私と結婚したこと。
 ふと、ユウスケにそう聞いてみたくなって、怖くて聞けないでいる。それを聞いて、もしもユウスケが後悔しているとか子供が欲しかったと言われたら、私にはもう何も残っていない気がしたからだ(実際は何も残らないなんてことはないのかもしれないが)。
 それでも頭の中にある疑問はふとしたときに私の心に影を落とす。
 ある日、二人とも休日だけれど予定がなかった昼下がり。ソファーに一緒に寝転びながら私はユウスケに聞いた。
 「ねえ、ユウスケはさぁ、まだ若いし、やっぱり子供欲しいなとか思ったりするんじゃない?」
 わざと軽い口調で私は聞いた。でも、私の軽い口調が意図的でわざとであることを、ユウスケはたぶん察したのだろう。少しの間があって、ユウスケは言葉を選ぶように丁寧に口を開いた。
 「二人の生活は楽しいし、これは俺の本心だよ。そして、これは大切なことだから、正直に伝えようと思う」
 「うん」私は頷く。
 「正直、子供がいらないとは思わないよ。アヤとの間に今子供がいたらと、ふと思うときは正直ある。でも、アヤと結婚できて、一緒にいられることは何にも代えがたいことだと思ってる。二人での生活が楽しいことも本心なんだ。きっと、うまく言えないけれど、こういうことは、竹を割ったようにスパッと割り切れるものじゃないんだろうなって思ってる。今子供がいないことと、今子供がいたかもしれないこと。どちらの可能性もふと頭をよぎりながら、いろいろ考えて生きていくんだと思う。それはたぶん、命のことだからだと思う。命についてって、たぶんパッと答えが出てそれ以降まったく悩まないっていうことは少ないんだと思う」
 ユウスケから命という言葉を聞いて、私はふと流産した私達の子を思い出した。産声を上げることなく、この世を去った私達の子。
 「天国には行っちゃったけれど、二人の間に子供がいたよね」ユウスケは言った。
 「俺は時々あの子のことを思い出すんだ。あの子は俺に命のこととか、アヤの大切さとか、いろんなことを教えてくれる。これからも悩んだり迷ったりすることもあるかもしれないけれど、答えのない難しさを抱えるのも人生なんだろうなぁと思う。だから俺は、こうやってアヤとソファーに寝転がる日常が好きだよ」
 ユウスケの言葉に、私は改めて気づかされる。ユウスケはいつも私との日常を大切にしてくれていた。人生が今日という日の積み重ねであることを、私はいつも忘れがちだ。
 「ありがとう」私は言った。
 「アヤは、どんなふうに思っているのかな」ユウスケは言った。
 今度は私が気持ちを伝える番だ。私はユウスケに、私の気持ちを話す。上手ではないかもしれないけれど、正直に。命のことや二人の日常のことや、たくさんの尊い気持ちを。

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