お金をかけない丁寧な暮らし

お金をかけない丁寧な暮らし

お金をかけない丁寧な暮らし

 休日の朝。
 トーストと目玉焼きを焼く。トーストと、目玉焼きと、プチトマトとレタス。
 ドリップコーヒーを淹れてカフェオレを作る。朝食を食べながら、脱衣所では洗濯機が回っている。朝食を食べ終え、皿を洗い、少し本を読んでいれば洗濯も終わるだろう。
 今日はいい天気だから、洗濯物もよく乾きそうだ。

 僕は生活にあまりこだわりがないほうだと思う。けれど人によっては、例えば朝食を自炊することを「偉い」と思える人には、僕の生活は少々こだわりがあっていわゆる「丁寧な暮らし」かもしれない。

 いずれにせよ、僕は僕に馴染んだ、身の丈に合った暮らしをしているつもりだ。それは豪勢な暮らしではないし映える生活でもない。
 ただただ気負わず、けれど自分なりにささやかな充実感のある生活。そういう生活ができればと考えながら、そういう生活を送っている。

 僕は、あまりお金やコストをかけずに生活の満足度を上げるにはどうしたらいいかを時折考える。

 その理由は二つある。

 一つは単純に、僕にとってお金はそれほど多くない、限られたものだからだ。
 お金が無限に湧いてこない以上、自分が持っているお金をうまくやりくりする必要は出てくる。

 もう一つの理由は、必要十分な生活にどこか意味のようなものを感じるからだ。
 例えば部屋の電気をつけっぱなしにすることは、楽かもしれないが無駄でもある。
 何かを無駄に使っていると、それが当たり前になってしまう。当たり前になると、本当は自分が生きていくのに何がどのくらい必要なのかわからなくなってしまう気がする。

 自分がある程度心地良く生きるためには、何がどのくらい必要なのか。
 それを知ることは、(世の中にはものが溢れているから)意外と難しい気がして、けれど大事なことのように思える。

 もしも僕が生きていく上で必要な物が、バックパック一つに収まるのなら、僕はどこにでも行ける旅人になれるかもしれない。
 もしも僕が生きていく上で必要な物が、一軒の家で収まるのならば、僕は安住の地を探せばいいのかもしれない。

 自分の生活を知るということは、自分自身を知ることでもあると思う。
 自分の生活に向き合うことは、自分自身に向き合うことでもあると思う。

 そんなふうに言うとなんだか壮大に聞こえてしまうが、自分の生活を見つめるということは最も身近で自分自身ができることの一つなのだ。

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