お気に入りの物は人生の旅の仲間である|断捨離

オムニバス(エッセイ風小説)

人生という旅の仲間

気に入った物を使うこと

 気に入った物を使うと、人生は楽しい。
 洋服にせよキッチン用品にせよ文房具にせよ小物にせよ、可能であれば自分が愛着のある、心が躍るような物を使ったほうがいいと思う。

 別にそれは高価な物とは限らない。
 自分が吟味し自分に馴染んだ、自分のお気に入りの物。
 そういう物に囲まれて生活することは、丁寧な暮らし方の一つだと思う。

愛着と保管

 気に入った物は愛着があるから、人によっては大胆に使うことを躊躇してしまう場合がある。

 せっかく買ったコートを、汚れることが怖くて着ることができない。だから普段着るのは古びた昔のコート。
 雨が降ってない日に、とっておきの日に。そうやってお気に入りの物を使う「いつか」を想像しながら、今この瞬間は自分の心が踊らない「とりあえずの物」を使ってしまう。

永遠のいつか

 けれど、その「心が躍るいつか」は永遠にこないかもしれない。
 大切に保管していたコートは、長い時間を経て、着るときはもう流行遅れになっているかもしれない。あるいは自分の価値観が変わって、買ったときより素敵に思えないかもしれない。あるいはクローゼットの中でうっかりカビがついてしまったかもしれない。

 私達は何かを保管・保存したがる。予備を欲しがる。
 本当に大切な物を実際に使うことに躊躇する。
 けれど人は習慣の生き物だ。大事に保管した物は、多くの場合、使わずに一番使える時期を逃してしまう。

「好き」と共にいる習慣

 私もどちらかというと、大切な物を使うことに躊躇するタイプだ。

 例えば新しいお気に入りの靴を買ったとき、その日の午後の予定が雨だと履くことを躊躇してしまう。
 そうやって新しい靴を何日も履かずにいたことがある。

 きっと自分が、自分の好きな物を使うことに慣れていない。自分の「好き」を先延ばしにする癖がついてしまっている。それは危険な習慣だ。

 自分の「好き」や感動を、味わえる自分でいること。それはとっても大事なことだ。

 そういう習慣から抜け出すことは難しい。
 雨が降るかもしれない日に、新しい靴を履くことは勇気がいる。
 けれど、午後は雨が降らないかもしれないし、そもそもこれからこの靴と、雨に日に歩くことだって遅かれ早かれあるだろう。

旅人

 大切な物を使うことを躊躇するとき、私は旅人なのだと想像する。
 もしも私が、例えば鞄一つで旅をするなら、どんな物を身につけ、どんな物を持っていくだろう。
 旅に持っていける物は限られるから、きっと私が気に入っているとっておきの物達を持っていくだろう。それはまるで私の身体と心の一部のように、私の旅を支えてくれる。
 そんなことを想像する。そして思う。人生は旅なのだと。

 そんなふうに考えると、私は今この瞬間から、新しい靴を履いて歩き出すことができる。
 

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