あなたを大切に思ってくれる人の声に耳を傾ける
自分を大切に思ってくれている人の声に耳を傾けること。
それは大切なことだ。
人は他者と関わりながら生きている。誰かの話を聞き、誰かの考えに触れ、誰かの思想を真に受けながら生きている。
どんなに人間関係が希薄な人でも、他者の思考にまったく触れずに生きていくことは難しい。
着る物も食べる物も住む場所も、私達は一人でまかなうことはできない。
洋服も食べ物も家も、誰かの何かの情報を参考に私達は選んでいる。
学校に行けば誰かの声を聞き、会社に行けば誰かの話を聞く。
私達は、他者の言葉に影響を受けながら生きている。
社会は優しくあって欲しいが、社会が自分にとって常に優しいとは限らない。
他人を利用する人、自分の利害を優先する人、思想を押し付ける人。そういう人が世の中にはいる。
私達は誰の言葉に耳を傾け、誰の言葉は聞き流すべきなのだろうか。
たぶん私を犠牲にし私を利用しようとする人の言葉に耳を貸すべきではないだろう。
一方で私のことを愛し、私を大切に思ってくれている人の言葉は、誠実に受け止めたい。
難しいのは、誰が私を利用しようとし、誰が私を愛してくれているのか一見するとわからないということ。
そしてその人に悪気がなくても、その言葉が私にとって呪いになることもあるということ。
難しい問題は一旦置いておいて、もう少し現実的なことを考えたい。
それはつまり、聞こえのいい言葉が必ずしも正しいことではないということだ。
私を利用する人、私を犠牲にする人は、時として聞こえのいい言葉で私を誘惑する。
私を愛してくれている人、私を(本当意味で)大切に思ってくれている人は、時として耳が痛い言葉を言うこともある。
自分を大切に思ってくれている人の声に耳を傾けること。それが大切だ。
では自分を大切に思ってくれている人とは、どんな人だろう。その見極めは難しい。それが難しいということも教訓の一つだ。
信頼していた人に裏切られることもある。信じていた人が間違ったことを言うこともある。
人生は、他人は、そんなに簡単に答えをくれない。それは教訓だ。