清潔であることと清潔感があることの違い
清潔と清潔感の違い
「清潔である」ことと、「清潔感がある」ことは似ているようで違う。
「清潔である」とは衛生的であるということだ。
「清潔感がある」とは周りが「この人は衛生的だ」と「思える」ことだ。
誰かがその人を見て、「清潔だな」と思えること。
たとえ清潔にしていても、みすぼらしい格好や汚れたように見える格好では、他者から清潔とは思ってもらえないだろう。
このように考えると、清潔感があるとは「見た目だけ」のなんともくだらない概念のように思う人もいるかもしれない。
なぜなら、どれだけ「清潔感」があっても実際に「清潔」でなければ意味がないからだ。
しかしながら、実際に清潔かどうかよりも清潔感を重視してしまうのはいかにも人間らしい。
人はその人やその物に対して物語を見出すからだ。
例えば綺麗に洗ったとしても、一度トイレの便器に落としたスマホを触ることには抵抗がある。
逆に、スマホの画面は便座よりも菌が多いとはよく言われるが、便座のようにスマホを嫌悪する人は少ない。
清潔感がない人
清潔な人よりも、清潔感のある人のほうが他者に好感を持たれることが多い。
なんとも皮肉な話だが、現実だと思う。
どんなに衛生的にしていても、だらしない雰囲気が漂う人は清潔には見えない。
そういう人は言う。「自分は綺麗にしている」と。
本人が綺麗にしているかどうかじゃない。他人が見て綺麗と思えるかどうかなのだ。
つまり清潔感を持つということは、相手の立場に立って身だしなみができるということなのだ。
よく清潔感がある人はモテると言われる。
それは相手の立場に立って物事を考えることができる人がモテるということなのだ。
清潔感の特徴
容姿の清潔感
残念ながら、容姿の清潔感は加齢と共に劣ると考えていい。
それは残酷ではあるが事実でもある。
肌のくすみ、筋肉量の低下からくる貧弱さ、髪質の変化。
これらは個人の努力も多少は反映されるだろうが、やはり大きくは加齢が影響してしまう。
爪を切る、髪を整える、体臭に気をつける、スキンケアをするといったできることをやりながら、後述する服装の清潔感も活用してカバーすることが得策だろう。
服装の清潔感
清潔感のある服装とは、ざっくりとは手入れが行き届いたフォーマルな服装だ。
ヨレヨレのTシャツを着た中年に清潔感を感じる人はいない。
一方で、くすみやシワのない白いシャツを着た大人には品がある。
ここでポイントになるわけだが、人は年齢を重ねれば重ねるほど肌のくすみやシワができるわけであるから、服はくすみやシワのないものを用いよう。これで清潔感における加齢のマイナス要素をある程度相殺できる。
言動の清潔感
どんなに見た目を整えても、大声で唾を吐きながらしゃべる人に清潔感を感じる人はいない。
周囲から清潔感があると思ってもらうには、ある種の穏やかさや知的さ、品の良さが必要だ。
無駄に大きな声・音を出さない。
無駄に相手を非難するような表現をしない。
無駄に慌てたり騒々しい立ち居振る舞いをしない。
つまりそれは足るを知り、自分をコントロールできるということだ。
言動に清潔感があるということは、穏やかで理性的であるということだ。