空気を読めない僕が空気を読みすぎて失ったもの

オムニバス(エッセイ風小説)

人の変化

変化していく自分

 人は大なり小なり変化するものだと思う。
 社会の中に溶け込むことや、人間関係を築くことが苦手な僕だが、それでも多少の成長はしていると思う。
 それは他人から見ると大して変わらないように見えるかもしれないし、取るに足らない変化かもしれない。
 けれど、過去の自分と今の自分を照らし合わせれば、僕は確かに自分の変化を感じる。

空気を読めない僕と、世話焼きの彼女

 昔の自分と比べると、僕には多少なりとも社会性が身に付いた気がする。
 そのきっかけは何なのかと言えば、彼女に人間関係で気をつけることや社会の作法を教わったからだ。
 たぶん人には、少なくとも僕には、忖度なく自分の欠点や傾向を言ってくれる人が必要だ。
 それは友人かもしれないし恋人かもしれないし家族かもしれない。
 いずれにせよ、人は一人では社会の中での自分みたいなものを上手く認識できないんじゃないかと思う。

空気を読めたら

 社会性が身に付くことで、上手くいくことはいろいろある。
 その中でも大きなものが、人に信用されるということだと思う。
 誤解がないように言うけれど、別に空気を読めないから「あいつは悪い奴だから信用できない」と思われるわけじゃない。
 僕が言う、空気を読めることで得られる信頼とは、例えば「この人ならこの大切な場面でも場違いなことはしない」と思ってもらえることだ。
 昔よりも多少は空気が読めるようになった僕は、そういう経験を前よりはできている。

空気を読めるようになって失ったもの

 けれど、空気を読めるようなったり社会性を身に着けることで失うものもある。それは心の耐性のようなものだ。
 空気を読んだり周囲を見るようになった僕は、以前よりも人間関係で落ち込んだり傷ついたり後悔することが正直増えた。

 空気を読むことが苦手な人は、空気を読めるようになった素晴らしい人間関係が待っていると思いがちだ(僕はそう思っていた)。
 もちろんそれは半分は嘘じゃない。けれど半分は楽観だ。実際は素晴らしいことばかりじゃない。

 空気を読めるようになると、人の負の感情が自分の心に入ってくるようになる。

 僕はかつて、空気を読み共感力が上がったら、もっと上手く人間関係を築けると思っていた。
 他人のしてほしいことを察し、喜びを共有する。それは自分の幸福にもつながるんじゃないかと思っていた。
 けれど実際、人が抱く感情はポジティブなものばかりじゃない。むしろネガティブなもののほうが多い。

 僕は空気を読んで他者と共感をするようになって、そういう力が以前よりも上達して、そのぶん人の負の感情で自分も傷ついたり落ち込んだりすることが増えた。かつての自分では共感せず自他を切り分けることができていた事柄に、共感し自分のことのように落ち込むことが増えた。

 僕は以前よりも人の心や社会の暗黙の了解に目を向けることが多少できるようになった。けれどそれによって生じるストレスや心の傷も増えた。

 人や社会を察することができるようになった今の僕は、かつての僕より幸せなのか。
 その答えを僕は正直まだ出せないでいる。

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