子供への愛情の注ぎ方と冷凍ご飯

家族

親の子への愛情

 私の場合、人を愛するということの深さと難しさを知ったのは、娘が生まれてからだった。

 もちろん、私は夫のことも愛している。けれど夫への愛情は恋愛の延長線上にある。私達は互いに知り合い恋人になり結婚した。段階のある愛はいくぶん理解しやすい。もちろん完璧にパートナーのことを理解しているわけではないが、いずれにせよ、夫婦の愛と子供への愛はまた異なるように思う。

 生まれてきた命の尊さ、その成長を見守る愛おしさは計り知れない。
 私は生まれて初めて愛し方がわからなくなる。この子にどんなに愛情を注いでも、もう充分注いだとは思えない。私はこの子を愛せているのだろうか。後悔がないくらい愛情を注げているのだろうか。娘の屈託のない笑顔を見るたびに、私はそう思う。

娘が作ったご飯

 ある金曜日、私は仕事を終えて保育園から娘を連れて帰ってきた。週末ということもあって気が緩み、私は疲れから帰って早々ソファーでうたた寝をしてしまった。
 「ママ、ママ」
 娘の声で意識を取り戻したとき、しまったと思った。どのくらい寝てしまったんだろう。今日は夜勤で旦那もいない。この子のご飯を作らないといけないのに。娘をほったらかしで寝てしまった。お腹空いたね。ごめんね。そう思いながら起き上がると、娘はニコニコしながら私に言った。
 「ママ疲れてそうだったから、今日はご飯作ったよ」
 テーブルにはご飯が二膳。たぶん冷凍庫から出してレンジで温めたのだろう。二つの茶碗の隣には、それぞれプリキュアのふりかけが置いてあった。中身は普通のふりかけなのに、パッケージの可愛さから娘が以前欲しがったふりかけ。「いつも買うわけじゃないよ」と念を押して買ったそのふりかけを、娘はいつも大事そうに使っていた。その大切なふりかけを、一つ私にくれたんだなと思うと、娘がずいぶん大きくなった気がした。
 「ありがとう」私は言った。
 「食べよう」得意げに娘は言った。
 ご飯とふりかけを置いて「ご飯を作った」と表現する娘は可愛かったし、何より愛おしかった。寝ている私を見て、自分で考えて、ご飯を作ってくれたんだな。そう思うと私は少し涙目になった。
 私が娘のことを考えるように、娘も私のことを考えてくれているんだな。そう思った。娘の成長が嬉しくもあり、少し寂しさもあった。
 次第にこの子も大きくなって、大人になっていく。自分で物事を考えて、いつしか親を必要としないようになる。
 子育てって、愛おしいけど、切ないなぁ。
 私はそう思った。娘が準備してくれた初めてのご飯は、世界のどんな食べ物よりもおいしかった。

 子供へ注ぐ愛情に際限はなく、どれだけ愛しても充分とは思えないけれど、まずは娘の愛おしさを噛みしめよう。私はそう思った。

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