恋愛の黒歴史|好きな子と一緒に学校から帰りたい

オムニバス(エッセイ風小説)

未熟な恋愛と未熟なコミュニケーション

未熟な恋愛

 私の人生の黒歴史を挙げればキリがないが、恋愛において黒歴史と言える最初の記憶は小学生の頃になる。
 当時私は同じクラスの男の子に恋をしていた。私はその子と親しくなるために、教室においてある学級文庫をよく読んでいた。
 これはどういうことかというと、男の子と一緒に帰るために、「本を読んでいてたまたま帰る時間が同じになった私」を装っていたのだ。そんなことを毎日のようにやっていたのだから、思い出すだけでも痛い。
 当然ながら読んでいた本の内容なんて頭に入っているわけもなく、私は教室で他の友達と話す男の子がいつ帰るか聞き耳を立てていた。そして男の子が教室を出ると、私も白々しく本を片付けランドセルを背負い教室を出る。まるで下駄箱で偶然会ったような素振りで話しかけ、男の子と一緒に私は帰ろうとした。
 それが上手くいくときもあれば上手くいかないときもあった。そして上手くいったときは天にも昇るような気持ちなったことを今でも覚えている。ストーカーだったなと今では思う。
 結局、そんな私の不器用な初恋は上手くいくわけもなく、男の子は私に振り向いてはくれなかった。脈がないことは私も感じていたから、結局告白もしなかった。学年が変わりクラス替えがあり、男の子と別のクラスになり、次第に私の思いも自然と消えていった。

未熟なコミュニケーション

 恋愛における黒歴史の多くは、コミュニケーション能力の未熟さからくると私は思っている。
 自分の「好き」という気持ちを上手く自分の中で咀嚼することができない。
 自分の「好き」という気持ちを上手く外に表現したり伝えたりすることができない。
 そういったコミュニケーションの下手さが黒歴史を生むのだ。

 好きな子と一緒に帰りたいなら、「一緒に帰ろう」と言えばいいのだ。
 あるいは、一緒に帰るくらい普段から親しい中になることがまず先なのだ。
 そのためには、相手に話しかけたり、相手の話を聞いたりしないといけない。そういう相手との対等なコミュニケーションができないと、恋愛なんてできっこない。

 幼い頃の私は、そういうことがわからなかったし、そういうことは学校で教えてくれなかった。

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