ペットを亡くしたときの「ずっと大好きだよ」という気持ち
ずっと大好きだよ
ずっと大好きだよ。
ペットを亡くしたとき、私はそう思った。
私が飼っていたペットは亡くなり、私はペットと死別した。
私は飼っていたペットが大好きだった。
けれど、私が亡くなったペットに対して、「ずっと大好きだよ」と心の中で語り掛けたのは、単にペットのことが大好きだったからだけでなく、
この思いが続いてほしいという願いもあった気がする。
続いていく願い
人もペットも、命ある者はいつか死ぬ。
命が生まれ命が終わり、その循環の中で私達は生きている。
私達はたくさんの命と出会いながら、その中で死と出会いながら生き、いつしか自分の命も終わりが来る。
そのことに悲しさや虚しさがないかと言えば嘘になる。
命の終わりは悲しいし、それに抗えない自分の存在に虚しさも感じる。
だからこそ、出会えた命が、(たとえその命が失われたとしても)私の心の中で響いて、いつまでも私を温めてくれている。そう思いたい。
一つの命が終わっても、その命が別の命を温めてくれている。
命に限りがあっても、そこにある思いは続いていく。
そんなふうに思いたいのだと、私は思う。
思いとの出会い
ペットを亡くしてほどなくして、別の要件で本屋に立ち寄ったある日。
ペットを亡くした主人公がお墓の前で「ずっと大好きだよ」と語り掛ける絵本を見つけた。
私にはそのとき、私の感覚が私特有のものではない気がした。
みんな終わりゆく命に対して、続いていく思いを求めている。
そんな気がした。
ずっとずっと大好きだよ
ずっと大好きだよ。
ずっとずっと大好きだよ。
私はそう思う。
あなたと過ごした日々は、私にとってとっても温かかった日々。
あなたのきれいな瞳、あなたに触れた感覚、あなたをお世話した日常。
あなたとの純粋な日々は、今も私の心を温めてくれている。
あなたをもう、写真や動画でしか見ることができないけれど、私は時々思い浮かべる。
空に向かって歩いていくあなた。その様子はあの頃と同じように無邪気で、可愛い。
雲の上で遊ぶあなた。その様子はあの頃と同じように無邪気で、たまらなく可愛い。
だから私は、私の心の中に、まだあなたがいるんだなぁって思える。
あなたと過ごした日々が、今も私を温めてくれている。
おはよう。
おやすみなさい。
いい天気だね。
私は元気にやってるよ。
いろんな言葉をあなたに語り掛ける。
それは他人から見たら独り言かもしれないけれど、心の中での言葉の反芻でしかないのかもしれないけれど、
私はあなたに語り掛け、その中で私は自分の心を澄んだ綺麗なものにできている気がする。
ずっとずっと大好きだよ。
私の命は、あなたの命を感じている。