夏休みの帰省と郷愁の思い出

オムニバス(エッセイ風小説)

子供の頃の夏休みの懐かしさ

 夏休みは人が初めに感じる郷愁の場の一つであると思う。
 つまり人が「懐かしさ」を感じるシチュエーションの一つだ。

 僕の夏休みの記憶は小学生の頃にさかのぼる。もっと記憶の深いところまでたどれば、もっと幼い頃(例えば保育園の頃)の夏の記憶もある。けれど僕が夏という季節を毎年迎えるとき、思い出す記憶は小学生の頃の夏休みだ。あれは確か小学校の半ばか後半。三年生や四年生、あるいは五年生か六年生。

夏休みの帰省

 親の実家が自宅から距離があると、その子供は帰省という経験をすることがある。その距離は長い場合も短い場合もあり、人それぞれだが、いずれにせよ日常とは異なるささやかな非日常を経験することになる。
 親の実家に、子供も懐かしさを感じるのはなぜだろう。親はそこで生まれ育ったわけだから、懐かしさを感じるのは自然なことだ。しかし小学生の頃の僕自身も、そこに不思議と懐かしさを感じていた。建物の古さだろうか。町並みのせいだろうか。生まれて十年程度の僕も、夏休みの帰省にどこか懐かしさを感じていた。

小学生の夏休み

 僕の親の実家、つまりばあちゃんの家は街の中心からそこまで遠くない場所にあった。けれど近くに山があって、家の周囲はまさに田舎という感じだった。車があれば街まで出かけて何かと便利だが、子供が歩く範囲ではコンビニもないのんびりした場所だった。しかしもう少し時間をかけて歩いていくと、少しだけ古びた商店街のようなものがある。僕はこの商店街によく行っていた。

 田舎に帰ってきたと言っても、何か特別なことをするわけではない。ばあちゃんは母さんの母さんにあたる。そのためばあちゃん家にいるときの母さんはいつもよりのんびりとしていた。毎年二泊三日ほどの帰省は、初日こそ食事に出かけたりするが以後はのんびりと家で過ごすことが多かった。
 だから僕は退屈すると商店街に出かけた。商店街は小学生が一人で歩くには少し距離があるし、すぐ隣の山が少し危ない。だから僕は誰かに連れられてその商店街に行った。母さんと行くこともあれば父さんと行くこともあったし、じいちゃんやばあちゃんと行くこともあった。
 僕はその商店街に行くたびに、アイスやジュースを少しだけ買ってもらった。

 商店街の中に、風鈴の店があった。正確には雑貨屋なのだろうが、風鈴やうちわなど夏に関する物が多かった。
 その風鈴のお店は商店街の中では比較的新しい建物で、中はクーラーがすごく効いていて涼しかった。僕はこの風鈴の店が好きだった。およそ小学生が興味をそそるおもちゃは何もないが、その空間はなんだか異国な感じがして僕は好きだった。
 風鈴はさまざまな模様があり、クーラーや扇風機の風で意図的にかすかに揺れていた。
 僕はその風鈴の店でビー玉を見つけた。なぜビー玉が売っていたのかはわからない。ビー玉は金魚鉢のような大きなガラスの瓶に入っていた。赤や青や緑や黄色。単色の物もあれば色が混ざり合った物もあった。
 僕はなんだかそのビー玉が欲しくなった。このビー玉を買うと、このお店の雰囲気を持ち帰ることができる気がした。
 僕はじいちゃんに頼んでビー玉を買ってもらった。じいちゃんは何個欲しいかと聞いてくれたが、僕は一個でいいと言った。きっとじいちゃんはビー玉を使って昔の遊びのようなものを教えてくれるつもりだったのだろう。僕がビー玉を一個しか欲しがらないことに少し戸惑っていた。
 僕は濃い水色のビー玉を一個買ってもらった。

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