子供がいない女性と妊娠をした後輩

オムニバス(エッセイ風小説)

私に馴染んだ私の生活

 私が生涯独身であることを受け入れたのは今から数年ほど前のことだ。
 特に大きな理由はなかった。平凡だが今の生活に不満のない私は、年齢的なものもあり結婚について考えることをやめた。

 多様な時代だから、独身であることは特に珍しいことではないし、特に不自由もない。
 しかし時折考えさせられるときも正直ある。
 結婚している人、子供がいる人、そういう人と自分を一瞬比較してしまうのは、私が独身だからなのか元からそういう性格だからなのか。

私の苦手な人

 会社に、少し苦手な後輩がいる。嫌いではないし悪い人でもない。彼女を苦手と感じるのは、私自身の問題だ。そうわかった上で、私には苦手な後輩がいる。
 その子は二十代後半の女の子で、私と違って社交性に長けている。会話や気遣いが巧みかといえばそうではなく、どちらかというと不器用な方だ。しかし人と積極的に接するその様子は、人に好意を与える。言動に対してあまり裏表を感じさせない。仕事に対しても意欲的だ。彼女が発案したことで業務にいい影響が出たことも少なくない。
 いい子だなと私は思う。けれどそんな彼女に私はちょっと苦手さを感じる。

 最近、彼女は一人目の子を妊娠した。つわりは重いらしく、仕事を休むことが少し増えた。
 しかし相変わらず仕事は頑張っている。けれど前より家庭のことやお腹の中の子供のことを優先することが増えた。当然のことだ。
 私にはない、ライフスタイルの変化。妬みや羨ましさはない。けれど変化のない自分と変化のある相手に少し戸惑いもあるのが正直なところだ。人が変わっていく中で、私自身が置いて行かれている感じ。それは考え過ぎだということもわかっている。人にはそれぞれの人生があって、人と比べていたらきりがない。そうはわかっているのだけれど。

 彼女はもうすぐ産休と育休に入る。彼女の仕事の一部は私が引き受けることになった。彼女の仕事を彼女の進めていたやり方で引き継ぐので、いろいろと作業が必要だ。
 彼女は今も意欲的に仕事に取り組んでいる。もうすぐ産休だからと手を抜くことはしない。けれどそのぶん彼女が産休になってからも続くプロジェクトが動き出す。そしてその引継ぎは(私も含めた)誰かがする。そのプロジェクトがひと段落した頃に、彼女は育休から復帰するだろう。そしてまた新しいプロジェクトに彼女は参加する。
 ひがんでいるのかな?私は自問する。器の小さい女だな。私は自分を自嘲する。私は彼女のキラキラした感じが苦手だった。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました