人が老害になっていくまでの過程

オムニバス(エッセイ風小説)

老害になっていくこと

 人は誰しもが老害になっていく。
 そして誰もが老害になりたくないと思っている。


 私達は「ああはなりたくない」と思いながら、いずれその「ああ」になっていく。
 それは一つの教訓だ。

 しかしできることなら、少しでもその流れに抗いたい。
 そう思うことも、また人の常だ。

 人はどのような段階を踏んで老害と呼ばれる存在になっていくのか。
 少し考えていきたい。

人が老害になっていく過程

人の悪口・陰口を言う

 人の悪口・陰口を言うことは、自分の中の老害を育てているとも言える。

 前向きに目の前の問題を解決しようするのではなく、自分の考えの下で他者をただ批判する。
 それは若いうちであればただの「悪口」「陰口」「愚痴」であるかもしれない。
 それを仲間内で言うぶんはスッキリするし楽しいだろう。

 しかし歳を重ねたあとの悪口や陰口は、若い人から見ればみっともない。

同調する人々との日々

 自分と価値観が似た人ばかりと過ごしていると、自分の中の価値観や考え方が固定されていく。
 それは悪いことではないし、むしろ心地良いことかもしれない。
 しかし一方で、自分と異なった考えを受け入れる耐性のようなものが減ってしまう。

 特定のコミュニティ・組織の中で過ごす時間が長くなると、多くの人には「気が合う人」ができる。
 そしてそのようなコミュニティでの日々で、自分にとっての「慣習」ができあがる。

 特にある程度の年齢になってくると目下の人間もそのコミュニティに加わるかもしれない。
 だんだんと自分にとっての「YESマン」が増えてくる。

実力に見合わないポジション

 ある程度の年齢になると、人によっては出世して役職を与えられるかもしれない。
 役職を与えられれば多少なりとも、以前より自分の中に権限が増える。
 そのぶん責任も増えるし求められる力量も増える。

 実力に見合わない出世は、会社の中でその人を孤立させ、老害への歩を進めさせる。

 実力が評価されて出世しその実力で仕事をこなす。
 これが理想的ではあるが、現実はこのようなケースばかりではない。

 例えば実力が評価されて出世しても、出世後はその実力と関係ない仕事をさせられるケース。
 現場仕事で評価されたのに、出世後はマネージメントを任される。
 現場仕事が得意な人が、マネージメントが得意な保証はない。

 あるいは年功序列や人柄だけで出世したケース。
 これも実力が見合うかは未知数だ。

 いずれにせよ、実力の伴わない出世は部下の反感を生むし、その反感は部下と上司の距離を生む。

減っていく情報

 歳を取ると過去の情報は増えるが未来の情報が減っていく。
 「今まではこうだった」という前例主義は得意になるが、「これからの時代はこうだ」といった新しい価値観・行動に腰が重くなる。

 そういった古い価値観の中で、次第に若者とのコミュニケーションがずれていく。
 部下とコミュニケーションが取れず孤立していくと、自分の中に入ってくる情報が減ってしまう。
 情報が減るから正しい意思決定ができない。
 上司の孤立はますます進む。

放置される老害

 真っ向から意見を言われたり改善を求められる老害はまだマシなほうだ。
 本当に孤独な老害は人から話しかけられなくなる。

 「あの人は言ってもわからない」「何か言うと面倒なことになるから」と放っておかれる。

 周囲から面倒に思われ、話しかけられないしコミュニケーションを取ってもらえない。
 それでも現場の仕事自体はまわり、若い人達から思われるのは「とにかく何もしないで黙っててほしい」のただ一つだ。
 これはある意味で老害の完成形と言えるだろう。

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