お金で買えない幸せをお金で買おうとしたとき人は不幸になる

オムニバス(エッセイ風小説)

お金で幸せは買えるのか

 お金で買えない幸せをお金で買おうとしたとき、人は不幸になるのではないか。
 いつからか、私はそんなふうに思っている。 

 世の中には、お金で買える幸せもあれば、お金で買えない幸せもある。

 お金で買える幸せがあるのなら、お金を出したほうがいいだろうし、だからといってなんでもお金で買えるわけじゃない。

 少なくともお金は私達の道具や手段であって、目的や幸福それ自体ではない。
 私達が豊かに生きるためにお金は必要だろうが、お金だけで人生を語ることもできないだろう。

お金で買える幸せと買えない幸せ

お金で買える幸せ

 子供の頃、シルバニアファミリーを買ってもらったことを覚えている。
 お金を出して物を買う。これはおそらくお金で買える幸せだ。

 物だけではない。例えば旅行など、お金を払うことでできる体験もお金で買える幸せと言えるだろう。

 好きな物を買ったとき、それを手にしたとき、私達は何とも言えない高揚感を覚える。
 同時に、その高揚感が長く続かないこともある。
 クラスの子が私よりも大きなシルバニアファミリーの家と豊富な家具を持っていたとき、なんとも羨ましかったことも覚えている。そのとき、自分が持っていたウサギ達に目が向いていなかった。

お金で買えない幸せ

 私はシルバニアファミリーの家が好きだったのか。たぶん好きだった。
 けれど、それは自分の親や友達とそれを使って遊んだことが楽しかったからだ。
 幸いなことに、私の両親は私がシルバニアファミリーで遊ぶときに度々付き合ってくれた。自分の好きな物を親も好きでいてくれることは、子供にとって幸せなことだ。

 こう考えると、私の子供の頃の幸福な記憶の一つは、お金で買える幸せだけでなくお金で買えない幸せも背景になっている。

 誰かと何かを共有すること。それはお金で買えない幸せの一つだと思う。

お金は人を幸せにするのか

 お金があることで幸せを買えることもあれば、逆にお金によって幸せが遠のいてしまうこともある。
 お金は人を幸せにすることもあれば不幸にすることもある。

 おそらく、お金が人を不幸にするときは、間違ったお金の使い方をしてしまったときだ。
 お金で買えない幸せを、お金で買おうとしたときだ。

 私達はお金との距離感を保ちながら、付き合っていかなければならないのだろう。

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