【ショートショート】モンティ・ホール問題

哲学・思考実験・パラドックス

モンティ・ホール問題

モンティ・ホール問題とは

 モンティ・ホール問題という確率論に関する話がある。
 元は同名の司会者が進行するアメリカのゲームショー番組で、その中で取り扱われた問題だ。

 モンティ・ホール問題は具体的には以下の内容だ。

  • 一つは当たり、二つはハズレの計三つのドアがある。
  • プレーヤーはこのドアから一つを選ぶ。
    (まだドアは開けない。ゆえにまだ当たりかどうかはわからない)
  • このあと、司会者が残りのドアのうち、ハズレのほうを一つ開ける。
  • プレイヤーはこの時点で、ドアの選択を変更するか否か選べる。
    (このまま最初に選んだドアを開くか、司会者が開けていない残りのドアのほうに選択を変更するか)

 この場合、プレーヤーはドアを変更したほうがいいだろうか?

 もちろんプレイヤーは当たりをすでに選んでいる可能性もあるし、ハズレである可能性もある。だからドアを変更することで当たりを選べる可能性もあるし、逆に変更したゆえにハズレてしまう場合もある。

 プレイヤーはドアを変更したほうがいいだろうか?
 多くの人は、「(司会者にハズレを一つ開けられているので)当たりの確率は二分の一。ドアを変更しようがしまいが確率は変わらない」と感じるのではないだろうか。

 しかしそれは間違っている。
 モンティ・ホール問題の場合、ドアは変更したほうが正解する確率は上がる。

 なぜならば、ドアを変更して正解する場合と、ドアを変更したせいでハズレになる場合を考えるとわかりやすい。

 ドアを変更して正解する場合とは、元々ハズレを選んでいた場合だ。つまりこれは三分の二だ。

 逆にドアを変更したせいでハズレになるケースは、元々正解を選んでいた、つまり三分の一のケースでしか起こりえない。

 ゆえにモンティ・ホール問題の場合、ドアは変更したほうが得策というわけだ。

モンティ・ホール問題の教訓

 モンティ・ホール問題の教訓は、「感覚と実際は異なる」ということだと思う。
 感覚的には理解しがたいことでも、理屈や実際では起こりうることが世の中には多いと思う。
 そういうことがあるということを自覚することは、幾分人生を生きやすくしてくれるのではないだろうか。

 世の中は感覚では理解できないことが多い。

 例えば仕事。
 始業に一分でも遅刻したら怒られるのに、一時間残業をしても残業代が出ないのはなぜだろう。
 デスクに座って小言を言うだけの上司が、仕事ができるあの先輩より給料が高いのはなぜだろう。

 世の中、感覚では理解できないことばっかりだ。

 こうして仕事中にモンティ・ホール問題なんて雑学をネットで調べ、時間潰しをしている僕にも、会社からの時給は発生するのだから。

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