やる気のある凡人・やる気のない優秀な人

オムニバス(エッセイ風小説)

やる気のある凡人・やる気のない優秀な人

やる気のない優秀な人の反対

 「やる気のある凡人」と「やる気のない優秀な人」なら、どちらに会社で働いてもらったほうがいいか。

 この問いに対する違和感は、おそらく「やる気のない優秀な人」の対極は「やる気のある凡人」ではないということだ。
 おそらく「やる気のない優秀な人」の反対は、「やる気のある無能」なのだろう。

やる気のある凡人の貴重さ

 きっと実際の社会では、「やる気のある凡人」はどちらかと言えば「良い人材」あるいは「優秀なほう」だ。

 「やる気のある凡人」を卑下するのは、いささか贅沢だ。
 世の中には無能がたくさんいて、何かを平凡にこなせることはそれだけで重宝される。というか、そういう「言われたことを平凡にこなせる人」がいないと社会は回らない。

やる気のある無能

 ここで無能ということについて考えてみたい。
 会社において「言われたことを言われた通りにやる」ということは、悪いことではない。
 創造性が問われる仕事なら話は別だが、多くの仕事は組織の中で人と人とが連携して行われる。
 そういう中で、言われたことを言われた通りにやることは重要だ。それはつまり「相手の意図を汲んで仕事ができる」ということなのだ。

 言われなくても結果を出せるのが有能で、
 言われたことを言われた通りにやるのが凡人で、
 だとしたら言われたこともできないのが無能だろう。

 あるいは、言われたこと以外のことを勝手にやって、結果として言われたことも言われてないこともできないのが無能だ。

 やる気のある無能は言われてないことを勝手にやって、結果として言われたことも言われてないことも結果を出せない。

やる気のある凡人・やる気のある優秀な人・やる気のない無能

 「やる気のある凡人」と「やる気のある優秀な人」。
 この選択肢はフェアじゃない。
 「やる気のある凡人」は贅沢な選択だ。

 対立構造にするなら、「やる気のある無能」と「やる気のない優秀な人」だろう。

 やる気はあるが現場を引っかき回す人と、やる気はないが結果を出す人。
 どちらがいいだろう。

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