現代の矛盾と私の矛盾
ビルは高くなったが、低いものを見下す私達。
強い者に対して気は小さいが、弱い者に気が大きい。
平均寿命な長くなったけれど、気は短い。
持ち物は軽くなったが、心は重い。
道路は広いが心は狭く、
情報は多いがゆとりは少ない。
食べ物は増えたが栄養は少ない。
医療は進歩したが病院に通う人は増えた。
おしゃれなスポーツウェアは増えたが、身体を動かす機会は少ない。
いろんなことを機械がやってくれるけれど、自分がしないといけないことは多い。
効率化は進んでいるが自分の時間は減る一方だ。
世界はインターネットでつながったが、孤独を感じる人は増えた。
罵詈雑言は増えたが、コミュニケーションは減った。
家族の在り方は多様になり、家族の人数は減った。
ドラマのセリフを聞く機会は増え、隣人と言葉を交わす機会は減った。
液晶画面の光を浴びることが増え、太陽の光を浴びることが減った。
愛しているというセリフを聞きながら、自分は久しく愛していると言っていない。
手元でできることが増えたのに、肝心なことは先延ばしにしてばかりだ。
大切なものは何かと聞かれれば、すぐに検索できるのだが、そこに答えは書いていない。
それは現代の矛盾なのだ。
人は文明を発展させていき、多くの物を得ながら多くの物を失っている。
私達は豊かになりながら貧しくなっている。
そしてこれは、私に対する矛盾なのだ。
自然の尊さを語りながら空調の効いた部屋で過ごし、
狩りのできない私は加工された物を食べる。
医療のおかげで生きながらえ、
知識のおかげで文字が読める。
私一人では、家も、服も、食べ物も作ることができない。
心の貧しさや、世の中の矛盾を語れるくらいには、私達は豊かなのだ。
だとするならば、文明を誰が責めることができるだろう。
私達は文明が発展する中で確かに何かを見失うことがあるかもしれない。
しかし今ここで何かを作ってくれている人、
今ここで医療に携わってくれている人、
今ここでインターネットを維持している人、
今この社会を作ってくれている人。
そういう人達を差し置いて、
私達の文明は何かを見失っていると、
上から目線で語るだけでは、
それこそ何かを見失っているだろう。